研究課題/領域番号 |
23K12009
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研究種目 |
若手研究
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配分区分 | 基金 |
審査区分 |
小区分01010:哲学および倫理学関連
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研究機関 | 茨城工業高等専門学校 |
研究代表者 |
田村 歩 茨城工業高等専門学校, 国際創造工学科, 助教 (50880150)
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研究期間 (年度) |
2023-04-01 – 2026-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2023年度)
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配分額 *注記 |
3,510千円 (直接経費: 2,700千円、間接経費: 810千円)
2025年度: 520千円 (直接経費: 400千円、間接経費: 120千円)
2024年度: 1,430千円 (直接経費: 1,100千円、間接経費: 330千円)
2023年度: 1,560千円 (直接経費: 1,200千円、間接経費: 360千円)
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キーワード | デカルト / コギト / 最善の説明への推論 / 実験 |
研究開始時の研究の概要 |
デカルトが「近世哲学の父」と称される最大の理由は、心身の事象的区別によって自然を機械論的に捉え、近代自然科学の発展の礎を築いたということであろう。他方で、この機械論的自然観を基礎づけている彼の形而上学については、古代・中世の哲学思想との緊密な関係性を指摘する研究が多数提示されている。本研究は、機械論的自然観がそこから導出されるところのデカルト形而上学の諸論(コギト論や自由意志論)におけるデカルトに独自の要素を究明する。具体的には、デカルト形而上学は自然科学の発展に寄与したというだけでなく、それ自体が極めて自然科学的な手法によって推進されていたという仮説を立て、これを証明していく。
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研究実績の概要 |
A)デカルトの方法的懐疑を、すべての知識を排除していわば知的な真空を人為的に作り出すという形而上学的実験とみなし、自然学的実験とのアナロジーで理解しうるものであると解釈した。この形而上学的実験によって得られた結果が「私は思惟する」であり、そこからデカルトが「私は存在する」という結論を引き出すにあたり、いわゆる最善の説明への推論を用いている可能性を検討した。具体的には次のようにまとめられる。(1)「私は思惟する」という現象が生じていることは疑いえない。(これは、この世界が夢であり、私が狂人であり、また私が常に欺く神に欺かれているという想定によっても疑いえない。)(2)「私は〔思惟しうるものとして〕存在する」という仮説は、私が思惟しているという事実を説明することができる。(3)「私は〔思惟しうるものとして〕存在する」という仮説ほど、私が思惟しているという事実をうまく説明できる競合仮説はない。したがって、(4)「私は〔思惟しうるものとして〕存在する」は真である。
B)デカルトが用いていた方法論についての研究の一環として、当初は研究計画に含まれていなかったが、近世初期に流布していたセクストス・エンペイリコス『ピュロン主義哲学の概要』をデカルトが読んでいたかどうかを、テキスト対照によって分析した。具体的には、三段論法批判・定義批判・真理探究における多数決批判・実生活の観察(セクストス)/暫定的道徳(デカルト)という両者の四つの類似点を明らかにした。しかし、これらの類似の程度はかなり強いものと思われるものの、モンテーニュやシャロンら近世の思想家たちとも共通するものであるため、これらの類似は弱い状況証拠にとどまらざるをえない。デカルトがセクストスを直接読んでいたことを断定するためにはさらなる詳細な分析が必要となる。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
研究それ自体は当初の計画どおりに進行している。ただし、査読に時間を要するなど、論文化には至っていないため、次年度も引き続き出版へ向けての作業をおこなう必要がある。
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今後の研究の推進方策 |
デカルトは、全知全能の神がすべてを決定しているという摂理と人間の意志の自由とを両立させようとする。具体的には、神はすべてを予定しているため人間の意志は自由ではないと考えるのではなく、神はすべてを予定しているが、その神の予定によって人間の意志は自由のまま放置されていると考える。このような自由意志論において、デカルトは最善の説明への推論を用いていると考えられる。本研究は、25th World Congress of Philosophy(2024. 8)で発表し、論文化を進めていく。
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