研究課題/領域番号 |
23K12042
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研究種目 |
若手研究
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配分区分 | 基金 |
審査区分 |
小区分01050:美学および芸術論関連
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研究機関 | 九州大学 |
研究代表者 |
米良 ゆき 九州大学, 人文科学研究院, 専門研究員 (80962852)
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研究期間 (年度) |
2023-04-01 – 2027-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2023年度)
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配分額 *注記 |
3,900千円 (直接経費: 3,000千円、間接経費: 900千円)
2026年度: 1,690千円 (直接経費: 1,300千円、間接経費: 390千円)
2025年度: 650千円 (直接経費: 500千円、間接経費: 150千円)
2024年度: 650千円 (直接経費: 500千円、間接経費: 150千円)
2023年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
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キーワード | マッテゾン / 感覚主義 / 経験主義 / 合理主義 / 啓蒙主義 / 美学 / 音楽思想 / ドイツ / 18世紀 / 聴覚 |
研究開始時の研究の概要 |
本研究では、18世紀ドイツの音楽思想家ヨハン・マッテゾンにおける「聴覚」という概念に着目し、それを醸成した哲学や宗教的思想を前景化する。従来、彼の音楽思想の主軸をになう「聴覚」は、 主にイギリス経験論との関わりから論じられてきた。対して本研究は、マッテゾンが展開する「可聴」と「非可聴」という二元論的な世界観の中で「聴覚」を捉え直し、それが倫理的・宗教的な重要性を持ち得た理由を、当時の思想的影響関係から考察することによって、その文化的コンテクストを明らかにする。
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研究実績の概要 |
本研究は、18世紀ドイツの音楽思想家ヨハン・マッテゾンにおける「聴覚」という概念に着目し、それを醸成した哲学や思想を前景化するものである。従来のマッテゾン研究では、マッテゾンがそれまでの伝統的な数学的音楽観からの離脱を志して「感覚」を基盤に据えた理論の構築を目指すとき、ロックに代表されるイギリス経験論的な哲学から影響を受けている点が強調されてきた。しかし一方で、同じドイツの中で盛り上がりを見せていたライプニッツ=ヴォルフ学派の哲学に如何なる目配りをしていたのかについては、これまで積極的に論じられてきたとは言い難い。確かに先行研究でも、ライプニッツ=ヴォルフ学派の系譜に属すゴットシェートとマッテゾンがオペラをめぐって論敵であったことや、同じくヴォルフ学派の徒であったシャイベとの交流あるいは思想の相違について取り上げることで、マッテゾンのヴォルフ哲学に対する立場は間接的には言及されてきた。対して本研究では、とりわけヴォルフ学派が合理的心理学の一環として注目していた「魂の不滅性」に関する哲学的な議論が、マッテゾンの後期の著書に与えた影響の有無について検討することで、彼が合理主義哲学に如何に向き合っていたのかをより直接的な形で明らかにすることを目指した。とりわけ本年度は、すでに検討を終えていたG.F.マイヤーに加えてラインベックやカンツの著作の精読、および先行研究の調査を行い、マッテゾンの思想と比較して分析した。これによって、マッテゾンがヴォルフ学派に象徴させる「哲学」を如何に眼差していたのかという点を明確化できる可能性が出てきた。相対的に言えば、この成果はマッテゾンの宗教観を浮き彫りにすることにも繋がる。また「啓蒙」という特殊な時代において「知」と「感覚」の間を揺れ動くマッテゾンの歴史的な位置付けをより正確に見極めるためにも、本年度の研究は重要性をもつ。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
本研究の目的は、マッテゾンが如何なる精神性のもとで「聴覚」を理解しているかを明らかにした上で、その思想を成立させている文化的・宗教的・哲学的コンテクストを前景化することにある。このためには、マッテゾンが「感覚」を如何なる論理体系の中で捉えていたのかを正確に理解することが不可欠である。彼は著作活動の開始当初から古代ギリシャのピュタゴラスに源流をもつ数学的音楽観を念頭に置き、感覚に対する理性、さらに言えば「知」の偏重に反対してきた。つまりマッテゾンの感覚的音楽論においては、「知」に対して如何なる眼差しを向けるのかという点が極めて重要である。この点を踏まえれば、特に本年度の研究はヴォルフ学派の合理主義的哲学をマッテゾンが如何に捉えていたのかを詳しく明らかにする必要があった。しかしマッテゾンによるヴォルフ学派への言及は非常に限られた範囲にとどまっており、直接的引用を含めて分析のために十分な分量を見出すことができなかった。そこでマッテゾンの著書の中にヴォルフ学派の哲学的用語からの間接的影響の痕跡を指摘することができないか検討したが、当時のヴォルフ哲学における錯綜する用語の意味を正確に把握すること自体が困難であり、さらにマッテゾンがヴォルフ哲学の内容をどれほど理解した上で、その哲学的用語を意識的に用いていたのかといった点を、限定的・断片的な文章の中で精査することは難しかった。 またヴォルフ学派の合理主義哲学について研究を進める過程では、合理主義とイギリス経験論とを明瞭な対立構造の中で理解するのは適切ではないことが明らかとなった。この点は、イギリス経験論的な立場にあったマッテゾンがヴォルフ学派や合理主義哲学を如何に捉えていたのかを検討する上でも重要であるが、上記の事情から慎重な作業を進めている段階にあり、学術的成果として発表できるほどの確信が得られず、研究発表や論文掲載に至らなかった。
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今後の研究の推進方策 |
本年度の研究を通して、マッテゾンの著作の中にヴォルフ学派の哲学の痕跡を見出せるか否かを検討した。その過程では、特に晩年に近づいたマッテゾンの著作において合理的心理学との主題的重なりを指摘することができる一方で、すでに若い時期の著作からヴォルフ学派への言及は始まっており、むしろそこではヴォルフやその周辺の哲学者たちの合理主義的な立場を「知」への批判と絡めて引き合いに出していることが分かった。当時から高名な哲学者としてヴォルフの名前を意識していたマッテゾンにとって、ヴォルフ学派は如何なる「知」のあり方を象徴するような存在だったのかを理解するためには、マッテゾンの前期・中期の著作も分析の対象に入れて、検討し直す必要がある。この作業を踏まえた上で、これまでの研究の成果を発表する機会を設けたい。 また研究計画の第二年度においては、フランスのヴァイエによる『音楽のための懐疑論』(1662)とマッテゾンの著作を比較する予定である。理性を基盤とする体系的な「知」のあり様を批判するマッテゾンの思想を支えるバックグラウンドを明らかにするという意味では、第二年度の研究計画内容も本年度の研究の延長線上にあると言える。啓蒙主義という「知」の転換期の中でマッテゾンが周囲の思想的変化を如何なる意識のもとで受け止めていたのかを理解する上ではいずれも重要な視点であるため、今後は17, 18世紀のヨーロッパにおける懐疑主義の哲学についても研究を進め、マッテゾンへの影響の検討を進めていきたい。
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