近現代日本における、知識人による労働者に向けた教育活動については、教育史や社会運動史、労働史の領域において、主に知識人=教育者の教育思想や政治思想、彼らが参加していた社会運動と、教育活動との関係が検討されてきた。しかしそこでは、学ぶという営みが、個々の労働者にとってどのような意味をもつのかを問う視点を持つ研究は少なかった。 本研究では、知識人が設立し、労働者が通った教育機関である労働学校が、占領期から高度成長期の終わりにかけていかに形成され、展開・変容したのかを、特に京都労働学校を事例として検討することを通して労働者の学びという営みが持つ意味について考察する。
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