1646年に福建出身の禅僧・百拙如理が来日し、仏教篤信者であり親友でもある地元の文人画家・趙珣の作品を齎した。のち趙珣の作品は1654年に来日した隠元隆琦とその法嗣である木庵性、即非如一、独湛性瑩らによって帯来し続けられ、長崎唐寺や黄檗寺院の間に広がった。これらは江戸後期の頼山陽や田能村竹田たちによって高く評価され、近代の瀧和亭、富岡鉄斎らの南画家によっても模作が続けられた。これら忘れられた福建画壇の重要な人物である趙珣や呉楨、王建章、馬元欽といった人物の作品を包括的に調査し、付属品や伝来情報を把握する。そのことで福建―琉球を中心とするグローバル海域のなかに位置付けることを目的とする。
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