研究課題/領域番号 |
24617004
|
研究種目 |
基盤研究(C)
|
配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
文化学
|
研究機関 | 一橋大学 |
研究代表者 |
藤野 寛 一橋大学, 言語社会研究科, 教授 (50295440)
|
研究期間 (年度) |
2012-04-01 – 2015-03-31
|
研究課題ステータス |
完了 (2014年度)
|
配分額 *注記 |
3,510千円 (直接経費: 2,700千円、間接経費: 810千円)
2014年度: 1,040千円 (直接経費: 800千円、間接経費: 240千円)
2013年度: 1,040千円 (直接経費: 800千円、間接経費: 240千円)
2012年度: 1,430千円 (直接経費: 1,100千円、間接経費: 330千円)
|
キーワード | 多文化共生 / オーストリア帝国 / ナータン・ビルンバウム / カール・エーミル・フランツォース / ウクライナ / シオニズム / イディッシュ語 / 同化 / 多文化主義 / ドイツ・ユダヤ文化の共生 / カール・エーミール・フランツォース / 第一次世界大戦 / ドイツ-ユダヤ文化 / 異文化共生 / 多民族国家 / 同化ユダヤ人 / 啓蒙 / ドイツーユダヤ文化 |
研究成果の概要 |
かつてチェルノヴィッツという街があった。1918年に第一次世界大戦が終結し、オーストリア帝国が崩壊するまで、この帝国の一地方都市だった。オーストリア領だったので、ドイツ語文化が支配していたが、ドイツ人より多くのウクライナ人、ルーマニア人が住んでいた。それ以上に、多くのユダヤ人が暮らしていた。歴史上、ドイツ-ユダヤ文化が真に実現していた街があったとすれば、それはチェルノヴィッツだ、とすら言われる。しかし、1918年以降はこの街はルーマニア、ソ連、ウクライナと属する国を替え、今日、多文化都市の面影を見出すことは難しい。本研究がこの街の過去とその文化へのオマージュとならざるをえない所以である。
|