| 研究課題/領域番号 |
24K04684
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| 研究種目 |
基盤研究(C)
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| 配分区分 | 基金 |
| 応募区分 | 一般 |
| 審査区分 |
小区分06010:政治学関連
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| 研究機関 | 山形大学 |
研究代表者 |
松本 邦彦 山形大学, 人文社会科学部, 教授 (40241682)
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| 研究期間 (年度) |
2024-04-01 – 2027-03-31
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| 研究課題ステータス |
交付 (2024年度)
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| 配分額 *注記 |
3,380千円 (直接経費: 2,600千円、間接経費: 780千円)
2026年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
2025年度: 1,040千円 (直接経費: 800千円、間接経費: 240千円)
2024年度: 1,430千円 (直接経費: 1,100千円、間接経費: 330千円)
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| キーワード | 植民地 / 歌人 / 経営者 / 文化活動 / 徳島 / 植民地支配 / 多文化共生 / 保守系知識人 / 在日朝鮮人 / 同化政策 |
| 研究開始時の研究の概要 |
本研究では、過去の日本が在日朝鮮人という明白な異物を抱えていながら、なぜ多文化共生政策に至れなかったのかを、主に1960年代までを中心に、その政策を主導し、正当化する論陣を張っていた保守的知識人の歴史認識の角度から明らかにすることを目的とする。まずは植民地朝鮮から戦後日本でも活躍した知識人の一人、鎌田澤一郎の言動を保守系論壇のなか位置づける。さらに保守系知識人が戦後日本の異民族政策について、どう主張してきたのかをあきらかにする。次いで、戦前の異民族に対する同化政策への反省がなぜ保守系知識人のなかで薄れていったのかをあきらかにする。
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| 研究実績の概要 |
今期は主に鎌田澤一郎の戦前期の活動について文献調査と徳島での現地調査をした。 徳島では公益社団法人三木文庫や松茂町歴史民俗資料館・人形浄瑠璃芝居資料館、県立文書館、県立文学書道館、徳島市立図書館を訪問した。鎌田が郷里・松茂町に1972年に建設した財団法人鎌田民族学綜合資料館のその後については新情報を得ることはできなかったが、市立図書館での地元紙検索により大正時代の徳島での活発な活動が確認できた。のちに上京後の彼を後藤新平に紹介したという三島章道(通陽)子爵を招聘しての講演会や映画上映会等を彼主宰の「ローレル協会」がおこなっていたのである。また、文学書道館所蔵の肉筆ノート「徳島ゆかりの文学者団体について」からは鎌田と同世代の歌人らの交友関係も確認できた。そのノートは鎌田を含む歌人らの書簡の内容を抜き書きしたもので歌人・小西英夫(生1892~没1955)の関係資料として所蔵されており、判読の結果、筆者は井坂吉恵(生1898~没1957/雅号「青草朗」)の可能性が高いことが判明した。ノート中のメモからは、井坂や小西らがローレル協会から離脱して別の短歌結社「郷土社」を興したことには、鎌田がローレル協会を歌人の結社から地域の実業家や「有産家」の団体に変容させたことが影響していることが伺えた。 文献調査によっては、鎌田が大正15年に上京してから銀座の丸ビルに本社を置いての経営活動が信託業のほか自動車の輸入販売業にも及んでいたことが判明した。また上京後の昭和2年の『徳島毎日新聞』元旦号に信託会社と銀行に関する寄稿もしていることも地元紙検索で判明した。 さらに県立文学書道館の小西英夫関係資料からは、第二次世界大戦勃発直後、京城(ソウル)にいた鎌田が執筆した肉筆原稿も発見された。これが原稿を入れていた大阪中央放送局でラジオ放送されたものか、他の媒体に掲載されたものかも今後の追究課題である。
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| 現在までの達成度 |
現在までの達成度
4: 遅れている
理由
進捗状況についてはまだ鎌田澤一郎自身の言論活動、経営活動の同定も、また鎌田自身が主張する彼自身の行動を周辺状況、他者との行動記録と照合することが遅れている。たとえば前者については、上記の地元紙への信託業に関する寄稿は第一回分が発見されたのみで、その後の掲載動向は同紙に欠号が多いためまだ判然としない。今回確認できた第二次世界大戦勃発に関する原稿がどこに発表されたものかも追究の必要がある。さらに当時の新聞雑誌類を広く収集していく必要がある。 後者については、特に上京後に鎌田がかかわった与謝野鉄幹、晶子夫妻との「株式会社日本古典全集刊行会」めぐるトラブルがある。これは鎌田の出資金が与謝野夫妻に横取りされて豪邸の建設費に使われてしまったと主張するものだが、与謝野夫妻はもとより正宗敦夫や長島豊太郞、長島豊太郞関戸信次らなどの当事者の書簡類の探索を今後おこなっていく必要がある。
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| 今後の研究の推進方策 |
今期においては上記の調査不十分点をできるかぎり夏季休暇までの段階で補充し、後藤新平や鶴見祐輔らと出会い、宇垣一成と共に植民地朝鮮に至るまでの経緯についての活動を論文にまとめたい。また、当初の計画では戦後の保守系知識人らの言論活動の検証を第二年度におこなう予定だったが、全体に計画が遅延しているので、第二年度の後半においては鎌田の植民地朝鮮時代の活動を対象とし、特に彼が強制的な同化政策、日本語強制策に反対したことで当時の朝鮮人から喜ばれたというエピソードを中心に真偽を追究していきたい。 ただ、これらの前半・後半の補充・検証が確定に至らない場合に備えて、並行して、彼自身が彼の半生を1970年に語った際の音声記録(学習院大学東洋文化研究所所蔵)について、その内容の文字化と周辺調査をおこなっていきたい。
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