明治期の西洋演劇の流入以降、日本の演劇の実践家たちにとって〈せりふ〉と〈かたり〉という2つの言語形式の存在は主要な問題として意識されてきた。この意識は、明治期の日本のシェイクスピア翻訳家と翻案家のみならず、戦後のシェイクスピア翻訳家と翻案家にとっても重要なものだったと考えられる。そこで本研究では、戦後日本のシェイクスピア翻訳・翻案作品について、その劇言語の特質を〈せりふ〉と〈かたり〉という2つの見地から読み解くことで、翻訳と翻案を横断する新たな日本のシェイクスピア受容史の見方を提示することを目指す。
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