仏像は、聖性の本質である法身を可視化したもので、人は、仏像を介して理念的な仏を供養することができる。 本研究は、宗教実践の場の文脈を重視し、修行者の内面的な清浄性を高めるために仏像にどのような表現が求められたのか、また、舎利や真言など聖なるものが納入された仏像はどのような機能をもつのかを明らかにすることを目的とする。この際、修行者が生身のまま聖性を宿すとする「即身成仏」を説く真言密教の事例に着目するが、人と像という行為の主体は違えど、仏の代行をし不可視の働きを可視化するという共通項を考えることで、仏像が、如何なる条件のもとで、その聖性を働かせて宗教像として機能するのかを広く議論する準備をしたい。
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