研究課題/領域番号 |
25370860
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
ヨーロッパ史・アメリカ史
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研究機関 | 神戸大学 |
研究代表者 |
大津留 厚 神戸大学, 人文学研究科, 教授 (10176943)
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研究期間 (年度) |
2013-04-01 – 2016-03-31
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研究課題ステータス |
完了 (2015年度)
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配分額 *注記 |
3,770千円 (直接経費: 2,900千円、間接経費: 870千円)
2015年度: 1,300千円 (直接経費: 1,000千円、間接経費: 300千円)
2014年度: 1,300千円 (直接経費: 1,000千円、間接経費: 300千円)
2013年度: 1,170千円 (直接経費: 900千円、間接経費: 270千円)
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キーワード | ハプスブルク / 第一次世界大戦 / コメンスキー学校 / 捕虜 / 民族政策 / ハプスブルク帝国 / オーストリア / 少数民族 / 民族教育 / 公的権限 / 第二次世界大戦 / ナチ政権 / チェコスロヴァキア / オーストリア=ハンガリー / コメンスキー・シューレ / 少数民族保護 |
研究成果の概要 |
19世紀後半、ウィーンのチェコ系住民は、チェコ語で授業をするコメンスキー学校を設立した。オーストリアの憲法は「民族は平等である」と規定していたが、ドイツ的性格の強いウィーンでコメンスキー学校は公的権限が与えられなかった。第一次世界大戦の勃発はコメンスキー学校にも大きな負担を強いることになった。男性の教員の多くが動員されて戦場に向かった。敵国ロシアと同じスラヴ系言語であるチェコ語で教育をする学校の生徒が疑いの目で見られることもあった。戦争の長期化とともに生徒の家庭の経済的な困窮が深まった。大戦の終結は枠組みとしてのハプスブルク帝国の崩壊を伴い、コメンスキー学校は新たな期待と不安に直面した。
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