本研究は、1948(昭和23)年の保健婦助産婦看護婦法の制定に至るまで、GHQ文書を分析してPHW看護課が意図した日本の助産婦を明らかにすることを目的とした。その結果、占領直後から助産婦教育に関する情報や助産婦教育の検討がGHQ文書に掲載された主な内容であり、PHW看護課が占領前から看護教育改革の一環として意図的に助産婦教育改革を行っていたことが明らかとなった。PHW看護課は産婆に関する情報収集、日本の産婆との直接的な関わりから、日本における助産婦制度の必要性を認識し、看護職それぞれの専門性が異なる保健婦助産婦看護婦法の制定を行ったと考える。
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