日本バスケットボールの技術的な革新が顕著であった明治期から昭和初期において、我が国は極東選手権大会をはじめ、アジア諸国との交流が盛んであった。とりわけ、バスケットボールで上位の成績を収めていたのは、早々にバスケットボールを取り入れた中国と、当時アメリカとの交流が密であったフィリピンである。 本研究では、中国・フィリピンとの交流に着目して、明治期~昭和初期に刊行された雑誌や回顧録等を用いて、日本バスケットボールの技術的な発展過程を明らかにする。この新たな試みによって、これまで描かれていなかった近代の日本とアジア諸国との交流を、スポーツ特有の「技術史」的な視点から明らかにできると考える。
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