研究課題/領域番号 |
26370140
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
美術史
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研究機関 | 駒澤大学 |
研究代表者 |
村松 哲文 駒澤大学, 仏教学部, 教授 (30339725)
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研究期間 (年度) |
2014-04-01 – 2018-03-31
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研究課題ステータス |
完了 (2017年度)
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配分額 *注記 |
2,470千円 (直接経費: 1,900千円、間接経費: 570千円)
2016年度: 780千円 (直接経費: 600千円、間接経費: 180千円)
2015年度: 650千円 (直接経費: 500千円、間接経費: 150千円)
2014年度: 1,040千円 (直接経費: 800千円、間接経費: 240千円)
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キーワード | 中国 / 涅槃 / 涅槃像 / 敦煌 / 仰向けの涅槃像 / 儒教 / 仏教 / 涅槃図像 / 仰向け / 儀礼 / 礼記 / 死 / 西安 / 四川 / 様式伝播 / 北周 / 宇文護 / 薬王山碑林 / 陝西省 / 涅槃経 |
研究成果の概要 |
中国の涅槃像を検討すると、初期の涅槃像は仰向けに表現されて、6世紀末頃になると右脇を下にした姿に変化する。釈迦の涅槃に入る姿については、初期経典に右脇を下にした姿で描写されており、インドでも釈迦の涅槃像は右脇を下にした表現が行われてきた。本研究では①中国では、なぜ経典の記載とは違う涅槃像を表現したのか。②それがなぜ経典記載通りの姿になったのかを考察した。 ①は中国に涅槃という概念が入ってきた際に、中国の人々はそれを「涅槃」ではなく「死」として捉え、通常の人間の死の姿として表現した。②は「涅槃」を「深い悟り」と正しく解釈したのが6世紀末頃で、それが右脇を下にした涅槃像を誕生させたと推測できる。
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