研究課題/領域番号 |
26370543
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
日本語学
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研究機関 | 金城学院大学 (2015-2016) 首都大学東京 (2014) |
研究代表者 |
中川 美和 金城学院大学, 文学部, 准教授 (00301408)
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研究期間 (年度) |
2014-04-01 – 2017-03-31
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研究課題ステータス |
完了 (2016年度)
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配分額 *注記 |
1,820千円 (直接経費: 1,400千円、間接経費: 420千円)
2016年度: 390千円 (直接経費: 300千円、間接経費: 90千円)
2015年度: 650千円 (直接経費: 500千円、間接経費: 150千円)
2014年度: 780千円 (直接経費: 600千円、間接経費: 180千円)
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キーワード | 日本語学 / 書記史 / かなづかい / 藤原定家 / 藤原光俊 / 表記 / 平仮名 / 冷泉家 / 定家かなづかい / 真観 / 古今和歌集 / 書記 / 異体仮名 |
研究成果の概要 |
本研究では、藤原定家(1162(応保2)--1241(仁治2)による定家かなづかいが、定家の没後、どのように社会に受け入れられ、継承されるようになっていったのか、という面に注目し、定家以後、行阿以前のかなづかいの実行者として、藤原光俊(真観)(1203(建仁3)-1276(建治2))筆資料をとりあげ、同資料における定家かなづかいの受容と継承の実態を明らかにした。真観は、反御子左家の代表的な歌人でありながら、定家に寛喜・貞永頃から師事して多数の歌書類を書写・相伝している。真観は、定家かなづかいの忠実な実行者であり、その書写態度は、資料によっては権威主義といってもいいほどにみえることを指摘した。
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