研究課題/領域番号 |
26580126
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研究種目 |
挑戦的萌芽研究
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配分区分 | 基金 |
研究分野 |
史学一般
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研究機関 | 関西大学 |
研究代表者 |
朝治 啓三 関西大学, 文学部, 教授 (70151024)
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研究協力者 |
服部 伸
佐藤 由美
沈 佳姍
劉 士泳
安国 良一
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研究期間 (年度) |
2014-04-01 – 2017-03-31
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研究課題ステータス |
完了 (2016年度)
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配分額 *注記 |
2,340千円 (直接経費: 1,800千円、間接経費: 540千円)
2016年度: 650千円 (直接経費: 500千円、間接経費: 150千円)
2015年度: 780千円 (直接経費: 600千円、間接経費: 180千円)
2014年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
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キーワード | 杜聰明 / 台北帝国大学 / 国立台湾大学医学院 / ドイツ医学 / 傅斯年 / 美国在華医薬促進局 / ミュンヘン大学医学部 / 東京帝国大学医学部 / 帝国大学 / 台湾医学 / ローベルト・コッホ / 後藤新平 / 伝染病研究所 / 熱帯医学研究所 / ドイツ医学研究 / 日本医学研究 / 臺彎医学研究 / 帝国的構造 / 留学 / 植民地 |
研究成果の概要 |
世界水準の医学研究が周辺世界へと波及していく際の日本と台湾の違いを実証し、先進国からの研究者受け入れと、先進国への留学生派遣が齎す学の進化の効果について考察した。1945年以後日本医学は世界の中で独自の研究中心地たり得ている。 1895年以後日本が植民地台湾へ、当時の最先進水準であったがドイツ由来の医学を導入した結果、1930年代には台湾にも独自の医学が台湾人の手で育成される可能性が生まれた。しかし大戦後本土から来台した国民党政権はこの動きを見せた杜聰明らの研究意欲を封じ、台湾医学のアメリカ化を進め、その結果台湾人医学者が台湾独自の医学を打ち立てる可能性は、1950年以後には薄れた。
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