本研究では、対外危機の高まりによって、江戸幕府から蝦夷地警備を命じられた弘前藩と盛岡藩の警備兵士供養をめぐる問題について検討した。 近似する地理的環境や歴史的背景を持つ両藩の比較を通じて、まず、警備のために派遣された藩士や百姓たちが蝦夷地で死ぬということをどう捉えていたのか、そして藩首脳部はどう対応したのかという基本的な事実を明らかにした。最終的には、軍事動員のために異郷の地で死ぬ異常死を通じて、寿命による平常死では見えにくい特質、つまり人々の死生観や遺体・埋葬地に対して抱いていた意識の解明を目指した。 本研究の最終年までに、弘前藩関係の記録史料を所蔵する弘前市立弘前図書館、盛岡藩関係資料を有するもりおか歴史文化館、岩手県立図書館などにおいて、研究主題にかかわる蝦夷地警備兵士の埋葬・供養記事の収集・洗い出しを行った。具体的には、実際の死者の取り扱いや、藩首脳部の対応方法などを探るため、警備兵士の残した日誌類や、藩庁記録といった史料の分析を進めた。さらに、研究成果をまとめた最終年には、弘前藩・盛岡藩の事例を比較・検討し、総括を行った。 国元から遠く離れた蝦夷地へ赴き、死と隣り合わせの警備に臨んだ弘前藩と盛岡藩の比較を行うことで、弘前藩単独の分析では具体的に示せなかった勤番地での遺体処理や、藩ごとの死者供養の違いなどを明確に捉えることができた。
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