研究概要 |
権威の書を学問研究の対象とする場合、大抵そこに注疏学が展開する。その典型を儒家経書を対象とする経学に見ることができる。即ち、『十三経注疏』は漢魏の古注の上に成立した唐宋注疏学の集成であり、『通志堂経解』は北宋新儒学の上に成立した宋明注疏学の集成である。近世最後の清代に入ると、経学は注疏学から脱脚し、ある程度の科学的精密さをもつ学術を展開した。『皇清経解』はその集成である。しかし、清代経学は従来の経学と全く異なるわけではない。清代経学では輯佚・目録・金石・方志・弁偽・校勘その他の諸学が発達したが、これらは従来の経学中から継承したものであり、また宋学が提出した多くの経学的疑問をも継承した。清代経学はその疑問の多くを解決したのであるが、それはむろん文献実証を本領とする考証学をその学問方法としたからである。本研究は、清代考証学の祖、顧炎武の経学と、その集大成者,阮元の経学とについての二論考およびその他の基礎作業によって、次の諸知見を得た。 1.清代経学が考証学をその学問方法となし得たのは経書を基本的に歴史的産物として把握したこと。2.よって、文献批判が容易になり、文献資料の収集整理が促進されて、経学の補助学が発達したこと。3.諸学の領域・対象に適合する学問方法が開拓されたこと。ただし、清代経学はある程度の科学的精密さをもつものの、科学そのものではなく、限界がある。そこで、清代校勘学を吟味するために基礎作業をまとめておいた。それが『論語』テキストの文献整理である。 なお本研究にさらに検討を加え補充し、その著書刊行を予定している。
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