1. 昭和57年7月23日から25日にかけて、九州北西部を中心に、総降水量600mmを越す大雨が降った。とりわけ、23日19時から22時までの3時間に長崎では約300mmに達する降水量が記録され、多数の死者を含む大災害がもたらされた。本年度は3年計画の最終年度にあたるので、これまでの研究をさらに進め、特に、長崎豪雨に直接あるいは間接的に関与したと考えられる二つの異なったスケールの気象擾乱に注目し、それらの動態を解析し、長崎豪雨との関連について考察した。 2. 中間規模(〜1000km)低気圧 東シナ海上をやや発達しながら東進し、23日にその中心が対馬海峡西部に達した低気圧は水平規模が1000kmの背の低い所謂中間規模低気圧であった。この低気圧は23日に中心気圧が最低となり、東進速度は著しく減じた。その構造は通常の発達しつつある温帯低気圧のそれとは異なり、弱い熱帯低気圧の特徴を備えていた。低気圧下層前面で南西からの暖湿気流の流入が顕著で、九州は豪雨の起こりやすい状況下にあった。さらに、長崎県付近は下層で南西風が卓越するとき地形的に収東域、したがって上昇気流域となり易いことがアメダス気象資料を用いて示された。 3. 中規模(〜100km)擾乱 23日午後、上記の低気圧中心から南東に延びる温暖前線上を北北東から南南西に通るバンド状のレーダーエコー(強い降雨帯)が南東進した。このエコーの水平規模は〜100kmであり、所謂中規模擾乱に相当する。地上気象観測資料からバンド状中規模擾乱は北九州に上陸後エコーパターンは崩れるがほぼ時速30kmで南東進しつつ衰弱する。 4. 長崎豪雨の機構 中間規模低気圧により長崎県付近に豪雨発生のための好条件が形成され、そこを直通したバンド状中規模擾乱がtriggerとなって自励的メカニズムを有する積乱雲が長崎付近に次々と発現しその結果豪雨となったと推論された。
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