研究概要 |
日米の教育史,教育行政学等の学際的研究により以下の新知見を得た。 1.最近の米国教育史見直しの成果に学び、(1)米国の教育長,指導主事の制度的実態をマサチューセッツ州,ノースカロライナ州等に絞り、それらがいかなる課題解決のために誕生し、どんな問題を抱え定着し、今どうあるのか。(2)特殊教育の分野も含め見直せた。(3)科学的管理法,人間関係論等の経営学の発達が「教育指導職」のありように及ぼした影響.(4)彼等の役割が「教師の教師」から「教員研修」等の推進役となる過程と実態.(5)教育委員会との相互関係,等々も究明できた。(6)以上から戦後日本の「教育指導職」像形成にインパクトを与えたのは、米国の1930年代以降のそれであったこともつきとめた。 2.戦後期に形成された日本の「教育指導職」像は(1)戦前の教育行政に対する反省と上記米国からのインパクトの結合の所産で、(2)米国のそれとは異なる。(3)その挫折は、(イ)その法規範,倫理規範,技術規範の別も吟味せずに法制化されたこと.(ロ)日米の政策樹立に参画した者達が両国の教育の実情に精通していたわけではないこと.(ハ)校長を含む「教育指導三職」の主要任務が「新教官」の普及及び教育課程の地域毎の編成等にあったが、IFEL講習等で高揚した意欲だけでは、文部省の抵抗、教員組合の反対、学校基準法案を埋没させた諸力等の障害を克服し難かったこと、等の理由による。(4)以上は全て、戦前の一般行政と教育行政、教育行政と教育会等の諸団体、等の関係を規制し定着していたエトスと深くかかわっていると確認できた。 3.戦前日本においても態様としてみる限り、学監、学務課長、巡回訓導、小学督業、郡視学、師範学校長及び教員、社会教育主事などで、特に社会の変動期=教育の改革期に「教育指導職」的機能を果す者が少なくなかった。しかしその像は戦後のそれとは異なる。どう異なるかは日独視学制度の比較研究の成果に俟つべきだとの結論を得た。
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