研究概要 |
この研究は明治初年までに北海道各地の海岸地帯に既に形成された第一次共通語〈平山輝雄氏のいわれる安東語〉の形成と、その後開拓・移住の展開、移住者の増加・定住に伴う変容過程を調査研究しようとした。しかし、三年間の頭初計画は実質一年五か月程度に短縮されたので第三次共通語形成過程以下は割愛し、上記の第二次から第三次の祖語変容過程で大きな影響を与えたと考えられる明治期初等国語教育の展開過程をも一つの柱として調査研究することとした。 1.第一次共通語は平山氏の指摘される如く開拓移民が北海道全域の海岸線に鮭,鰊,昆布等の収獲をもとめて入稼・定住し集落形成と共に、彼等の出身地たる東北地方北部、裏日本各地の方言が混交し第一次共通語として成立,定着していったものと考えられる。 2.明治8年、上記海岸地方,一部奥地の河川流域,士族移住地などで簡易な初年学校が設置され、恣意的教材によるヨミ,カキを中心とした国語教育が開始された。このとき直接児童に接し教授活動を展開した教員の出身地も、前述移住民達の出身地と同じ者が大多数を占めていた。このことから各地方言が混在しながら教場で使用され、また発言,表記法等の教授が行われた。こうして「安東語」は逐次第二次共通語に変形されていく。 3.北海道に於ける計画的開拓,殖民の展開過程で学校教育では明治十年代の開拓使本庁,函館支庁制定「小学生徒心得」及び三十年代の文部省刊「北海道用尋常小学読本」の教材としての使用があった。これら教材は全国共通の言語,発音を示したが教場での実態は教員出身地方言による教授が行われた。この段階で内陸部開拓の進行と共に第三次共通語が形成定着したと推定される。北海道・東京を除く府県では日常生活で当該地域方言と標準語の併用があるが北海道ではそれがないため、学校教育展開に伴い第一次共通語→第三次共通語と変形していくのが一大特色である。
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