研究概要 |
60年度にとりくんだトゥキュディデスの第2巻48〜54章のアテナイの大疫の記事、とりわけその語量と、Corpus Hcppocraticum(そのなかでもEpidd,【I】および【III】)との対応の考察から一歩すすめて、トゥキュディデス第3巻82〜84章の、ケルキュラにおける内乱を主題とした、いわゆる内乱の病理学とよばれる個所を中心として、前5世紀のギリシアという時代と精神風土の基盤のうえにたって、ギリシア倫理思想史研究のためのひとつの視角を確立することにつとめた。とりあえずの成果は、「トゥキュディデスとヒポクラテス-その2-」(山梨大学教育学部研究報告第37号)に掲載した。ここではトゥキュディデスの「歴史」の成立年代と、Epidd・諸巻、とりわけ第【I】および【III】の成立年代をめぐる若干の考証と、ペロポネソス戦争を国家の病患とみる史家の態度が詳細に展開されている、上記内乱の病理学に関する記事の立入った文献学的研究が試みられている。この論文はいわば古代ギリシア社会の大衆倫理の問題へのアプローチとしても、まだ完結してはいない。とりわけこの時代大きな論争の主題となっていた人為(ノモス)と自然(ピュシス)の対比をめぐっては、トゥキュディデスもヒポクラテスも重要な発言をしている。ソフィストたちの啓蒙主義、相対主義、さらにプラトン哲学の問題との関連をめぐっての考察を、F.ハイニマンなどの研究を参照しながら、目下とりまとめる作業にかかっている。
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