科研費の交付をうる以前から当課題は私の関心下にあった。科研費の交付をえて焦点をしぼって問題を考えはじめ、はっきりしてきたのは、この課題を追及することは日本倫理思想史の全体を描きとる道筋なしには成りたたない、ということである。そのことを自覚しえた点で本研究に従事したことは有益であったが、しかしまた大きな課題を背負うことにもなって、簡単に最終まとめをなしえないことを告白せざるをえない。 研究の過程でぶつかった難問のうちもっとも大きなものは、日本の広がりをどう考えるか、という問題である。私がこの主題に対してもっていた関心は二つの場にわたっていた。南西諸島(沖縄地方)の世界観へのそれと、日本本土、とりわけ飛鳥、奈良、平安期、そしてその後の中世期における神概念、仏概念へのそれである。その二つの世界観は、今のところ、日本という括弧でくくれる接合点はもたないが、対比することは出来る。前者の表現様式は、基本的には歌であり、しかも共同体の中でつくられた歌である。後者では、古代歌謡、染塵秘抄など無名な作者によるものがあるが、沖縄のそれに比べて祭式性は痕跡化している。とりわけ平安期には、神話にかかわる表現が消失し、歌は個人的な感慨を述べるものになる。そうしたことと重なって、平安期には、物語表現と仏教的概念の中で理を展開する思考が成立するのである。物語的表現としては『栄花物語』を点検したが、そこでは、神と仏の義理が消え、神仏という熟語の多用が印象的であった。そのような状況と、仏教理論の側での仏の意味づけ-『天台本覚編』や道元などについて考えた-とがどう交叉するかは問題である。その交叉の仕方はのちの神仏習合の構造にかかわるように思われるからである。その問題を見て南島の神概念とどうかかわらせるか、それは今後の課題になる。超越観念の多層性が見えてくることが望まれている。
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