研究概要 |
日本の新宗教にみられる先祖観の特質は大きくは二つに分けられる。ひとつは家の宗教化していくなかで、家先祖観を受け入れていくものである。特に江戸末期から明治初期に発生した新宗教はこの傾向が強い。それに対して、もうひとつは大正期以降発生した新宗教では、先祖祭祀の観念と実践を説くものが多く、また、魂の問題を説くものが多い。それは大正期に入り、通俗教育を通して先祖祭祀が強調されたこと、都市移住者が家を喪失していくなかで、夫妻が力を合せる以外には家庭を築いていくことができないような、集団の連帯性が弱い場合、そのような家族の平安、秩序の維持のために、先祖の祭祀の不足が自らの生活の苦悩の説明原理として有効に機能したと考えられる。しかし、それは伝統的な家の系譜を軸にした家先祖祭祀ではなく、夫方,妻方,父方,母方の双方の先祖、さらには霊魂の世界を無限に拡大していく世界が窺える。それは家先祖祭祀という社会的規範に捉われない、私的で、自由な解釈が可能になったことを示している。また、現代の新宗教にみられる苦悩の説明原理としての先祖観は家という境界を拡散し、家という自律した生活領域を喪失していくなかで、自由に「先祖」を選択できる世界を創り上げているといえる。しかし、それは共同性を喪失したものであるがゆえに、「先祖」そのものも様子をはずされた存在となっているともいえる。そのことは、現代家族自体が不安定であり、アイデンティティの拠り所を失なっている現代日本社会の合せ鏡ともなっているといえる。それにもかかわらず、根強い先祖祭祀志向は、自己のアイデンティティの精神的拠点を過去の他者である先祖との係わりで求めていこうとする人間観の現われといえよう。
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