研究概要 |
塩業は、地域によって生産力はもちろんのこと、地主制の構造,流通機構なども異なり、それぞれの塩田でかなりの特色を持っている。したがって各塩田の塩浜経営の実証的分析を通して、それぞれの塩田の経営構造の特色を把握することは、地主制研究の基本的作業である。本研究では具体的塩業経営の分析対象として、香川県の松平家・松枝舎の生島塩田経営,坂出塩産合資会社,林田塩産株式会社の経営,兵庫県赤穂塩田地主の田淵家と奥藤家の経営,山口県の塩田地主森本家と国光家の経営をあげ、分析を試みた。 明治三十八年、塩は専売制になる。塩田の生産力の視点から、一般的には大規模塩田-高生産性-全国市場を対象とする十州塩田と、小規模塩田-低生産性-ローカル市場を対象とする非十州塩田との、二つの地帯構造の成立・対抗の顕在化した時点に塩専売制は施行されたとみられている。しかしながら同じ十州塩田内でも大小さまざまの塩田が散在し、その成立年代も異なることから、生産力にも大きな差異がある。香川県の坂出塩田,林田塩田は幕末から明治にかけて築造された比較的新しい塩田である。従って塩田地盤の新しさに加え、経営形態も早くから近代的な会社組織になっており、生産力も高い。松平家・松枝舎によって経営されている生島塩田は、江戸時代中期に成立した塩田である。そして小作人の1人当たり塩田経営規模が3反前後ときわめて零細であり、一般的な塩田経営が1人当り二町歩前後であることを考えると注目される。兵庫県の赤穂塩田は近世期からの有力塩田であるが、近代以降は地盤も古くなり、生産力はそれほど高くない。しかし、田淵家や奥藤家は豊かな資本力によって塩田経営を安定させることができた。山口県熊毛郡の平生塩田は近世前期から中期に成立した古い塩田であり、きわめて生産力も低い。森本家や国光家では入手した塩田を安定的に経営することは難かしかった。
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