沖縄の古典『おもろさうし』は16世紀から17世紀にかけて約100年の歳月をかけて編纂された。日本文学でいえば『古事記』に相当するもので、沖縄の創世神話、神概念、他界観の解明はもとより、琉球王国形成期の歴史や王権思想を明らかにするうえでこれ以上の資料はない。筆者は20年近くこの歌謡集の解明に精力を注いできたが、研究方法、研究姿勢において従来の研究に物足りなさを感じてきた。要因のひとつを示〓すれば、これまでのおもろ研究が「日本古代の鏡」という日本民俗学初期の沖縄観に依存していたからである。 沖縄は中国に明王朝の成立後、招諭をうけて中国を中心とする開封体制の中に組み込まれた。それを契機に、沖縄には中国文化だけでなく遠く東南アジア諸国の文化も流入した。これは必然的に沖縄文化に東支那海沿岸諸国、特に中国の文化が大きな影響を及ぼしたのである。しかし、琉球諸島のおかれた政治的立場から、これらの地域との文化的関係を捨象し、沖縄文化を日本文化とのみ比較するという研究姿勢が長い間とられたのである。私はこのような研究上の欠を補なうため、中国の〓祖信仰と沖縄のおなり神信仰の共通性を論じ、また、瑞鳥である鳳凰文様の沖縄における受容を朝鮮、日本のそれと比較して検討した。その後、琉球の王権思想に中国における王朝始祖伝承説話としての日光感精説話が大きな影響を与えていることを解明した。また、琉球諸島の現行の民族および祭式歌謡にあらわれた異形の神の分析を通して、中国的習俗の石敢当、ヒンプン、シーサー等が沖縄で受容された精神的背景を明らかにした。以上の研究成果により沖縄の祭式、文学、神概念に中国の思想が多面的に影響を与えていることが明らかにされたと考える。
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