ロシアの農民共同体をコルホーズにかえたソヴィエトの農業集団化は、その規模、速度においてソヴィエト史上他に類例を見出し難い一つの革命であり、現代ソヴィエト農村の歴史的原型を創出したという意味では、ロシア革命以上に現代的な意義を有する事件であるといっても過言ではない。本研究は、集団化の歴史を、共同体史の視点から考察しようとするものである。 ロシアの土地革命によって蘇り強固となった農民共同体は、ソヴィエト政権がコルホーズ建設を試みるべき前提であった。土地分配の平等主義を原則とする共同体のなかから、優良な土地の優先的な割当てをうけて二十年代末に発生したコルホーズは、共同体との激烈な対抗関係にはいりこんだ。この政策はしかし完全な形で成功することはなく、集団化はまもなく一九二九年末から「土地指示」という方法で、権力機関による強力な介入のもとに「上から」進められた。しかも一九三十年初頭に発布された「アルテリ模範定款」によってコルホーズからの脱退には禁止的な制限がくわえられた。 しかし発生したコルホーズは、共同体からの過渡的な特質を帯びていた。第一に、かつての「口数に応じた」土地分配の原則は、コルホーズの収穫の「口数に応じた」分配という形態をとって長期にわたって維持された。次いで第二に、かつて共同体内部で共同労働を負う単位として存在していた農戸のグループは、集団化の過程においてコルホーズの労働単位(ブリガーダ)として一定の役割を果たした。
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