研究概要 |
本研究では, 明治前期最大の国家的事業として明治21年に完成をみた明治宮殿と, その後造営された高輪御殿・麻布御用邸・沼津御用邸本邸・葉山御用邸本邸・宮ノ下御用邸・日光御用邸・日光田母沢御用邸本邸・鎌倉御用邸・静岡御用邸・小田原御用邸・葉山御用邸附属邸・武庫離宮の12殿邸における和洋折衷技法について, 宮内庁所蔵の基本資料にもとづいて, 実証的に調査・研究した. 明治宮殿は, 京都御所の伝統を受け継ぐ和風木造宮殿として計画されたが, 構造技法と室内装飾に洋式が導入され, 当時としては他に類例のない和洋折衷建築を創出した. 表宮殿および奥宮殿の各建物の構造技法・内外装手法等を調査した結果, 表宮殿での洋式導入が顕著であるのに対して, 奥宮殿では伝統洋式・手法を堅持し, 暖炉飾り・絨緞敷き・照明器具などに洋式を導入している程度であることが明らかになった. 皇居造営後に建設された高輪御殿以下の12殿邸について, 各建物の構造技法・内外装手法等を調査した結果, いずれも和風の伝統手法が濃厚であることが明らかになった. 表宮殿にみられたような進取的な洋風導入は認められないが, 基礎工法や内装の一部に洋風が採用されている. また, 明治20年代・30年代の殿邸間での年代差はあまり認められないところから, 伝統性の強い奥宮殿の和洋折衷法を規範とした和風殿邸建築の定型が明治20年代に確立され, 以後それが継承されていったものと考えられる. 明治末年から造営された武庫離宮では, 和風殿邸としての基本形式は変わらないものの, 新材料の採用等技法上の変化が現われている. これは, 国産材料の量産化, 赤坂離宮(東宮御所)などの洋風建築における経験, 一般建築界における建築近代化等が, 和風宮廷建築にも影響をおよぼしはじめたものとして把えた.
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