与謝野晶子の体育思想は、大正デモクラシーの思潮に支えられた人間尊重の教育思想を基盤に自由思想的な体育を志向し、軍国主義的な体育や勝利至上主義的な体育、武士的な体育を否定するという特徴を示している。この体育思想は、第一次大戦後の国家独占資本主義の発達を基礎とする軍事的な国家体制のもとでの教育改革として発足した臨時教育会議の「兵式体操振興ニ関スル建議」に対する発言「学校に於ける兵式体操に反対す」(1917年11月25日横浜貿易新報」に見い出せる。ここで、彼女は「感情と知識と徳性と体力」の円満な発達において軍閥からの体育擁護を説いている。彼女の兵式体操批判の根底には、産む性を視点にした身体意識が内在していると考える。この身体意識は、数多い出産体験や生活体験によって内面的成熟をとげ、心身一如の実感を通して自らの生を主張している。この生の主張において、自由思想的な体育意識が形成されていったと考える。彼女の体育思想は、西村伊作との文化学院の自由な体育実践に反映しているとみられる。ところで、こうした体育思想には、その文化性、芸術性ゆえに天皇崇拝という盲点をかかえ、教育勅語遵奉の精神を内在させている。彼女のリベラルな思想は、天皇制国家体制の枠内で自由主義的民主主義的であり、時代の制約をうけて軍国主義的国家主義的なものへの抵抗の限界がみられる。この限界は、評論活動沈滞化において産む性の視点が希薄になると体育への問題意識もみられなく、体育にあらわれたファシズムの兆候を黙認している。反戦歌人晶子の評価が今日のジャーナリズムにおいて話題(1984年6月7日朝日新聞投書)となるように、万人の心をとらえた短歌と彼女の体育思想は、その基盤を同じくしているといえる。今、晶子の体育思想が見直されるのは、こうした生活者としての体育意識にあり、その未熟性も、今日のわれわれに問われている問題でもあろう。
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