愛知県豊田市は、トヨタ自動車工業(株)の発展とともに成長した都市である。いわゆる高度成長期、自動車産業の拡大により、わが国都市のなかでも人口増加率第1位を記録したこともある。この間、町村合併をくりかえし、総合計画、都市計画なども数度にわたって改訂せざるを得なかったほど、都市の地域構造も変容した。本研究では、豊田市を事例に、地方都市の形成過程のメカニズムの解明を行い、地方都市成長の一般論の定立を目指そうとした。 1)挙母市の誕生と都市整備 挙母町は昭和26年3月、市制をしいたが、その直接の要因となったのは、いうまでもなく、トヨタ自工の存在とその発展の可能性であった。 2)豊田市の誕生と発展 昭和30年代は、トヨタ自工の発展に伴い、豊田市が都市的様相を次第に整える時期であった。周辺町村を合併し、34年には市名を挙母から豊田へ変更した。人口増加が急カーブを描いて激しくなり、農村的要素が薄れて新しい工業都市的性格を強めていく。この時期の都市政策は、トヨタ自工の整備拡充に公共が全面的に協力する形ですすめられた。 3)都市化の進展と都市形成 昭和40年代は、わが国の経済成長と都市化が爆発的に進んだ時期である。自動車工業は日本の高度成長を支えるスター産業となり、トヨタ自工の生産規模もこの時期に約5倍にふくれた。公共の事業が都市化のスピードに追いつかず、多くの都市問題が社会問題化した。 4)市民の自覚と社会福祉 昭和40年代の後半から50年代に入ると、トヨタの発展がイコール市の発展であるとする市民意識に変化が生じ、市の行政も企業中心から市民中心のそれに比重を移していく。市民の福祉・文化を重点に置く地方都市づくりが本格化する。
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