1.奈良県吉野川上流域に近世以降形成された吉野林業地域については、従来、多くの研究蓄積が林業経済史などの分野でなされてきた。しかし、それらのほとんどは一般化のために一律的メカニズムを把握しようとした点、地主研究がその中心に置かれた点に特徴があった。 2.それゆえ、地理学の観点から同地域の形成を確認する余地が残されており、とくに地域形成過程にみられる集落差、流域差の明確な存在は、従来の研究史で一律的に把握されたメカニズムについて再構成する視点を十分に与えてくれる。 3.まず、本支流域で検討すると、本流沿いの川上郷(近世)では大規模な外部資本の導入が目立ち、それらによって育成林化が進展したようにみられてきたが、集落レベルでみると、その導入時期、それゆえ育成林化の時期には、大きく3グループに分けられるほどのズレが顕著であり、その背後には個々の集落の成立史、とくに近世を通じて形成された親村、小村の成立に規定された条件がかなり大きな要素として浮かび上った。それは各集落の傾斜面上における農耕地規模の大小を規定し、農業への依存性の強さが林野利用の在り方を規定すると同時に、集落の構成員である農家間の階層的特徴を規定し、それらが村落構造のズレとしてあらわれるためである。その点で村落構造を反映した育成林化のズレが3つのグループを支える新たな、しかも基本的な条件として把握することができた。 4.また、支流の周縁部について検討すると、当初の年季山利用はきわめて細分化され、地元民にとって好都合のような外部資本の導入が図られていることもわかった。このことは本流域を含めた吉野川流域の育成林化の原点を示す素材とも考えられることから、変容のすすんだ川上郷のより外側の地域の研究を今後深め、検討したい。
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