研究概要 |
普通一般教育としての科学教育の在り方については、公立学校成立以来、今日まで絶えず問われ続けている課題である。本研究は、この問題に対する比較理科教育的,歴史的アプローチへの基礎として、アメリカにおける公立無償ハイスクール成立期の一般教育としての科学教育を取上げ、その理念とカリキュラム構造の決定過程を、1893年から、1920年の各種委員会報告を資料として分析し、考察を加えたものである。 1893年の10人委員会報告に於いて、4年制ハイスクールの初学年科学として「自然地理学」が位置づけられたが、これがアメリカに於いて普通一般教育としての科学の構造と理念が形成されていく最初の出発点であった。この自然地理学は、生徒の周囲の自然環境を人間の営みとの関連で総合的に認識していくという性格を持っていたことから、ハイスクールにおける専門諸科学への導入教科として、またその学習以後、自然科学を学習しない生徒のための基礎科学としても位置づけられた。その後、アメリカ産業の発展に伴う中産階級の発展とともに、すべての生徒に中等教育が求められるようになり、そのための自然科学教科として位置づけようとする実践が進められた。しかしながら、普通一般教育としてのハイスクールの進展と、ジュニアハイスクールを生んだ教育改革の動きのなかで生じた、いわゆる職業準備教育として、さらに、一般教養としての科学教科に求められる教科構造と「自然地理学」とは一致しなくなり、「自然地理学」はアメリカのハイスクールから姿を消すこととなった。その新しい要請に答えるべき教科は、その構造として「プロゼクト法」,あるいは「問題法」の用語で代表されるような一連の問題解決過程を内包するものであった。その教科は、結果としてゼネラルサイエンスの名で呼ばれることとなり、アメリカにおける普通一般教育として科学教育を特徴づける教科となった。
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