研究分担者 |
加藤 尚武 千葉大学, 人文学部, 教授 (10011305)
浅野 楢英 東北大学, 教養部, 教授 (20025042)
柏原 啓一 東北大学, 文学部, 教授 (30008635)
岩田 靖夫 東北大学, 文学部, 教授 (30000574)
坂口 ふみ (坂口 フミ) 東北大学, 教養部, 教授 (40012489)
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研究概要 |
何を主題にするにせよ, その主題と探究する方法をもって論理と呼ぶとすれば, この論理に対話の論理と論証の論理があることは, 古代ギリシアにおいてアレクティケーとアポディクティケーというかたちで取り上げられて以来, 両者が長くヨーロッパの学問伝統を織り成してきたことに窺える通りである. 今日, 改めてこの両者の論理が問われている. 19世紀に入って, 非ユークリッド幾何学の出現や, マルクスのイデオロギー論, さらに一切の〓認を権力意志からする世界〓〓とするニーチェなどの登場により, これまで哲学や諸科学が出発点としてきた根本令題が内容的に問われるに至っているが, 今世紀に入るや集合論の逆説が示すように, これまで絶対的な確実性の砦であった数学や論理学の基礎づけまで問われるに至っているからである. ポッパーの反証論理, クーンやファイアーベントのパラダイム理論, デリダなどの腹構築の理論, ハーバーマスやアーペルらのコミュニケーション理論など, 現代における新しい哲学運動も, こうした問題状況を踏まえたものと言って良い. この問題は, アリストテレスにおいてアポディクティケーが学問方法論とされたかぎりで, ディアレクティケーの見直しと言っても良い. 共同研究を通してわれわれが共通に確認したことは, 論理はそれだけで自己完結しない. 論理的諸問題を真に見通すためには, 論理を定式化された命題の諸連関のうちにもとめるだけでは不毛であり, 言語が発語される状況, 相互主観的な生活世界, 歴史的生など論理を含む広い連関において論じられなくてはならないと言うことである. その意味では論理は言語の構文論, 意味論から, さらに行為論や身体論などと結びつけられて見守られなければならないのである. そして, この基盤の上で見直すとき, 論証の論理と対話の論理とは根源と目標において相互に他と結びつくものと言うことが出来るよう考えられるのである.
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