研究分担者 |
吉田 忠 東北大学, 文学部, 教授 (60004058)
湯川 洋司 山口大学, 教養部, 助教授 (10166853)
成定 薫 広島大学, 総合科学部, 助教授 (50110466)
鬼頭 秀一 山口大学, 教養部, 助教授 (40169892)
江上 生子 東京工業大学, 工学部, 助手 (80016493)
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研究概要 |
今日, 人間を取り巻く環境は人類の生存をおびやかす地球規模の問題となるほど重大な局面を迎えたと言われている. こうした状況を生みだした1つの背景として, 自然と人間とを対置させ, 自然は人間に利用されるために存在するという西欧的自然観・環境観があったという指摘もみられている. この局面を打解するのに, 人間と自然とを一体的にとらえる日本的な自然観が有効であるとして, 西欧の知識人からも日本の思想が見直されている. しかし, その日本は公害先進国とも言われるほど環境を悪化させてしまった. 本研究では, 西欧, 日本を比較しながら, この原因をさぐることを目ざした. 環境問題を解決するためには, たしかに自然をどのように認識するか, 人間と環境のかかわり方をどうするかという思想面が重視される必要があるが, 今回の研究では, それらをふまえて, 政治や経済のあり方が問われなければならないことが示された(吉田, 湯川). 19世紀西部開拓の波の中でアメリカ大陸の自然環境は大きく変貌した. これに一早く行政が対策をこうじた. これに対し, 良しとされる日本人の自然観は農村の崩壊とともに急速に失われつつある. 環境問題を科学の立場から解決しようとして注目されたのが生態学である. とりわけ生態系概念の成立(江上, 鈴木)が望まれるものであった. 科学者たちはこれとどう取りくんだのか. 学際的な研究がどのように形成され, それが現実の問題にどう対応しえたのか. これらの一端を本研究では明らかにしえた(成定, 鬼頭). 今後の問題としては, 生態学的知見をもふまえて, 広く人々が環境倫理を確立することである. そのためには教育のあり方も重視されなければならない(鈴木).
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