研究分担者 |
下山田 裕彦 静岡大学, 教養学部, 教授 (00022286)
林 昭道 国際基督教大学, 教養学部, 助教授 (30119060)
立川 明 国際基督教大学, 教養学部, 準教授 (70119056)
デューク B. C. (デューク B.C.) 国際基督教大学, 教養学部, 教授 (20052227)
川瀬 謙一郎 国際基督教大学, 教養学部, 教授 (90052208)
佐藤 尚子 国際基督教大学, 教養学部・教育研究所, 所員
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研究概要 |
学校で行われる宗教教育は, 知性の教育と情操の教育にも意義をもつものであるが, 道徳教育にも大きな役割をもっている. 人間は道徳の実践において, 崇高で且つ絶対的な道徳法則の存在を意識しているが, この意識のうちにあるものは超越的な絶対者の存在であり, 宗教性はすぐれて道徳的実践をうながす原動力だからである. 道徳教育における宗教教育の意義に関して, 以上のような統一的把握にたって研究を進めた. 1.歴史的検討 ヨーロッパの教育思想において, 教育は宗教と密接な関係をもち, 宗教特にキリスト教の働きなくして, 近代教育思想は成立しなかった. それらの例を著名な教育家コメニウス, ペスタロッチに見ることができよう. アメリカにおいても, 戦後日本の教育に多大な影響を与えたデューイの思想は宗教的な外形を捨て去ってはいるものの, その大事な内実をつかみ出していると考えられる. 2.理論的検討 (1)O.F.ボルノーの道徳教育論 教師は児童・生徒の「良心」に訴えてそれを目覚ますことによって, 道徳的意識・態度へと導いていく必要があることが把握されているが, 児童・生徒の側に生起する「覚醒」は, 宗教的な回心のような体験として, また「恩寵」のようなかたちである. (2)R.シュタイナー 現代の生活が科学的になっていくにつれて, 知性主義が教育に侵入し, 人間の心意生活を否定する. 人間が直接的に感じとる心的なのもは, 霊魂として, あるいは超感覚的な世界の問題として提示される. このようにして人間の主体性が取もどされる.
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