研究概要 |
従前より継続してきた富山大学における「出土文物研究会」を活用しつつ, 上記の研究課題を研究, 討論し, つぎの結論をえた. 1.中国の歴史家や日本における中国研究者のなかには, 中国文化の偉大さや特殊性を強調するあまり, 中国史における外部世界からの影響, 刺激を過小評価するきらいがある. しかし私の考えは逆である. 中国世界は「地大物博」の優利さにくわえ, 外部とのさかんな分析文化交流, 貿易によって発展し, 一方で中国固有の伝統文化を向上させる力をもえたのであると. もし中国が歴史上孤立を守っていたとするならば, すでに衰退にむかっていたはず. 東西文化交流史の観点を中国史研究にもっととりいれる必要を痛感する. 2.桑原隲蔵「歴史上より観たる南北支那」(原著1915年)は中国史上における南北地方差を明快にといた古典的論文である. 中国文化, 経済の発展が北(黄河流域)からはじまって, しだいに南(楊子江流域)に重心をうつすことを, 多くの例証をあげて説明し, 中国の歴史は一面からすると「漢族文化の南進の歴史」といいきる. この主旨は, 中国史の流れとして大筋では正しいが, しかし中国および東アジアの社会, 文化を「憂愁な漢族文化」という単一文化の視点でとらえてしまう危険性がある. 「漢字文化圏」という表現で, そのなかに生きつづける方言や周辺民族言語の地方文化を無視しがちなのと似る. (1)は世界史規模の文化交流史の観点であり, (2)は東アジア世界内における南北, あるいは東西の文化交流史の観点である. 総じていえることは, 地域の固有文化の存在と, それらがお互いの有無を通じあうところに, 総体的な歴史発展が生れるというみかたである. 詳しくは研究成果報告書を参照されたい.
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