研究概要 |
本研究はインドネシア統一の社会的文化的基盤形成の問題を検討することを目的とした. その重要な要素であるイスラムについては, 布教のあり方, 習慣法との関係, 近代化との関連などが検討され, 布教におけるスーフィズムの役割の大きさ, 各地域の慣習との混淆の強さが確認され, これらがムハマディアなどの改革派団体の活動にもかかわらずなお現在のインドネシアイスラムの根底に存在することが明らかにされた. 同様の土着的要素の残存は, トラジャのキリスト教布教についても指摘された. 近代化は慣習の希薄化を促し, 一面ではイスラムのナショナルな信仰への昇華をもたらしているが, 同時に信仰自体の後退にもつながっている. また, 近代化により生じた複数部族の都市に於ける共住の状況の分析から, 彼らはなお出身地の社会的文化的伝統から自由ではありえず, 真の意味での近代的都市社会が未成立であることが明らかになった. 中でも華人は特異な地位を占め, 今なお時として都市暴動の攻撃対象とされている. 現インドネシアの枠組を創出したのは近代ナショナリズムであるが, その成立以前の農民の状況がジャワを例に分析された. その結果, 農民の社会生活の場である村落が植民地支配による変質の結果, 精神的統合の場としての機能を喪失していたこと, 農民の伝統的反植民地闘争は民族主義国体によって代位されていったが, 民族主義は必ずしも充分に農民ノデオロギーに基礎を置いておらず, この意味では農民大衆にはやや異質なものであったことなどが明らかになった. 結局, イスラムもナショナリズムも国民国家の内実の形成という点では課題を後に残したといえる. 80年代以降, パンチャシラがしきりに強調され, 地域文化を上から組織化して国民文化の一環として位置付ける作業が政府の手で推進されている状況が指摘されたが, このことはインドネシア国民国家形成過程がなお進行中であることを物語っている.
|