研究概要 |
本研究は, 新たな研究素材-わが国最古といわれる唐人墓地(長崎市悟真寺)とその関係資料および, わが国唯一希有ともいわれる華僑貿易商人の経営記録(長崎華商泰益號文書)-中心として, 日本華僑社会形成の源流. 系譜および展開を解明することを目的とする. わが国華僑社会形成のルーツについては, 従来17世紀末の鎖国前後に求める見解と, 19世紀初頭の幕末開港以降とする主張とが併立している. 本研究の一応の到達知見としては,本格的な華僑社会の形成は幕末開港を正当とみるが, その萌芽的, 形而上的ルーツは, 18世紀初頭設立の長崎三唐寺の性格と役割にあるとみる. 両者の間には, イデオロギー(宗教, 価値観)的伝統性は認められるが, 社会経済的な連続性は見出しえなかった. 換言すれば「連続的にして非連続」という一見矛盾する論理が貫かれている. 次に, 系譜と展開を郷幇と業幇とのからみ合いの中でみると, 幕末開港に始まり明治32年に終る居留地, 雑居地自体にあっては, 広東, 〓南, 三江等の郷幇によって主導される貿易商人社会が基層となって, 展開と繁栄を記録した. それに続く居留地, 雑居地解体以降は, 治外法権の喪失と中国人に対する職業規制により, 華僑社会は変容を余儀なくされ, 福建幇により担われるいわゆる三把刀が台頭し, 新たな業幇を形成する. それとともに, 港を中心に形成されていた華僑社会が, 内陸各地方へと拡散する. 第一次大戦下の好況期には, 日本からプルと中国内戦に伴うプッシュが相乗作用して, 華僑人口は急増した. だが, 大正末から戦前期にかけては日中間の紛争が相つぎ華僑社会は厳しい苦難を迎えた. 戦後は台湾幇の参入により新展開を示した. 以上本研究では, 主として長崎を中心とする実証的分析を行った結果, その延長として, 海上商圏からのアプローチが不可欠である. 幸い海外学術研究補助が内定し研究の深化が可能となった.
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