研究概要 |
ソール・クリプキが懐疑論的議論のかたちで提出した意味概念の変更を手掛りとして, 後期ウィトゲンシュタイン哲学の中心問題の一つである規則遵守をめぐる問題が研究の一貫した主題として検討された. 前年度においてはとくにピータ・ウィンチの所説を同時に手引きに選び, 倫理の規範生という視点から問題の解明にあたった. そして, その規範性を支えるのが共同体が共同体として有する構造的特徴があることを突きとめ, 人間の行為の一般的な規則遵守的性格もこの視点から捉えられるべきことという結論を得た. 本年度では, 何度もクリプキの議論に立ち戻りつつ, クリプキとウィトゲンシュタィンとの基本的対立の解明に努めた. クリプキの議論はウィトゲンシュタィン解釈として多大の魅力をはなちながらも, 議論の前提にある懐疑論的議論の問題構制に大きな難点を有する. すなわち, 「意味する」という心的述語の働きに対して決定的な誤解があるのである. この故に, 彼の説く共同体説も一見してのその有効生とは裏腹に, 実効をもたないという結果に終っている. 共同体では, 「意味する」といった一連の述語に表示される人間の心的事象のディスポジショナルな性格を作り上げ, 維持するものでなければならない. 意味や理解をディスポジションと呼ぶとすれば, 共同体の存在をまって可能なこうしたディスポジションこそ, 人間の人間としての自然だと言うことができる. それは, 純粋に自然的な素質にもとづくものでもなければ, 社会の特定的性格に応じたところの規約的振る舞いでもない. 共同体はまさにこのようなかたちで規則遵守の問題に係わるのである. 研究者の論稿は「規則遵守と共同体」という標題でまとめられ, 本年度にはピーター・ウィンチの『倫理と行為』の出版をはたすことができた.
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