研究課題/領域番号 |
61510170
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研究種目 |
一般研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
研究分野 |
日本史
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研究機関 | (財)徳川黎明会 |
研究代表者 |
松尾 美恵子 徳川黎明会, その他, 研究員 (20072423)
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研究期間 (年度) |
1986
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研究課題ステータス |
完了 (1986年度)
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配分額 *注記 |
1,000千円 (直接経費: 1,000千円)
1986年度: 1,000千円 (直接経費: 1,000千円)
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キーワード | 近世 / 江戸幕府 / 藩 / 将軍 / 大名 / 殿席 / 家格 / 儀礼 |
研究概要 |
当該研究は当初の研究計画に基づき以下のように進めた。1.まず殿席制に関する基本データとして『寛政重修諸家譜』の大名殿席記載を抽出し、カードにより整理した。そして各家の殿席が固定し、「代々の例 となった時期を検討したところ、およそ次のような傾向をとらえることができた。(1)大名の殿席は一時期に一斉に定ったものではなく、長い時間をかけて家毎に個々に定まっていった。(2)ただしそのピークは家綱・綱吉政権期(1651〜1709)である。(3)「控えの間 系列の殿席(大広間・帝鑑間・柳間)記載は寛永期(1624〜1643)に始まるのに対し、「詰めの間 系列の殿席(溜間・雁間・菊間縁頬)記載はこれにやや遅れる傾向を見出だすことができる。2.次にこれらの傾向の意味するところを明らかにするため、『徳川実紀』、江戸幕府「御日記 より関係記事を収集し、「控えの間 系列の殿席と「詰めの間 系列の殿席の成り立ちを追究した。その結果、以下の諸事実を明らかにした。(1)江戸幕府の諸儀礼における大名領主の将軍拝謁は、幕初より、将軍との親疎、国主・城主の別、官位、石高等によって席や順序が区別されており、この区別が彼らの「控えの間 をも分けたと考えられる。大名殿席はまず「表 大名の「控えの間 から成立したのである。(2)黒書院溜間に詰める溜詰、雁間に詰める雁間詰=詰衆、菊間縁頬に詰める菊間縁頬詰=詰衆並の淵源は室町幕府や豊臣政権の「詰衆 に求められる。(3)江戸幕府の「詰衆 は幕初よりその存在を確認できるが、記録では家綱政権期に多く補任され、次第に階層分化した。綱吉政権期に「詰衆 も参勤交代するようになり、「詰めの間 は殿席化した。3.殿席制の構造・特質を明らかにするため、国立公文書館内閣文庫、国立史料館、東京大学史料遍纂所、京都大学、小浜市立図書館等に所蔵されている幕府・藩文書を調査し、関係史料を収集した。逐次検討を加えている。
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