研究課題/領域番号 |
61510171
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研究種目 |
一般研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
研究分野 |
東洋史
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研究機関 | 秋田大学 |
研究代表者 |
諸戸 立雄 秋大, 教育学部, 教授 (20006521)
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研究期間 (年度) |
1986
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研究課題ステータス |
完了 (1986年度)
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配分額 *注記 |
1,000千円 (直接経費: 1,000千円)
1986年度: 1,000千円 (直接経費: 1,000千円)
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キーワード | 五胡仏教 / シヤマン / 呪術的仏教 / 教学的仏教 / 後趙石勒 / 後秦姚興 / 道安の三例 / 敦煌写本「教団制規」 |
研究概要 |
東晋時代の五胡諸国家では、強力な専制君主権のもと、漢民族とは異なった基盤の上に仏教を受容した。匈奴や鮮卑族の間では、原始宗教たるシャーマニズムが発達し、ここではシャマンが司祭者・予言者とし、また呪師・呪医として行動した。羯族出身の後趙君主石勒・石虎は、このような宗教の行なわれている社会に生きた。彼らが仏図澄に代表される神異僧に接するや、その呪術的な予言・予見が、従来のシャマンのなしたよりは、より勝れたものであったため、神異僧たちを、大シャマンとして畏敬し、彼らの奉ずる仏教に帰依し、仏の加護を祈ったものとみられる。かくて五胡仏教は、呪術的性格を顕著に示すものとなり、その関心は、主に修福を目的とした造寺造塔などに向けられた。 これに対し、チベット系民族による氏族の前秦、羌族の後秦では、符堅や姚興のように、中国古典に親しみ、高い教養を備え、仏教の教学的な面にも強い関心を向け、その保護のもと道安や羅什の活躍をみるに至った。同じ胡族君主でありながら、当時、匈奴・羯・鮮卑などの諸族が、その民族の特性をより純粋に持ち続けていたのに対し、チベット系民族では漢化が進んでいたことが、このような受容態度の相違を来さしむることになったとみられる。そして、これら二つの仏教の流れのうち、前者は庶民信仰の中に生き続け、後者はやがて隋・唐時代の諸宗派を成立せしむる源流となったといえる。 制度史の面では、道安の制定した三例なるものが注目される。敦煌字本中に、西魏時代の「教団制規」とみられるものの存在が知られるが、その内容を検討するに、これは道安の三例の流れを汲むもので、国家権力による僧制に反対し、教団の自粛をはかるために、自主的に制定されたものと考えられ、唐初に制定された道僧格研究にも貴重な資料となるものである。
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