研究概要 |
本研究の目的は前7-5世紀におけるイタリア諸民族-エトルスキ, ローマ, ラティウム, マグナ・グラエキア, カルタゴーの政治的・軍事的・経済的相互関係をめぐる諸問題を個別的に考察し, その実態を解明しつつ総合的に把握することであったが, その趣旨に則り我々は以前の研究成果をふまえつつ, 2年間にわたりいくつかの個別的問題と取組んだ. 最初にFoedus Cassianumの問題を検討し, 前493年のローマ・ラティウム間の対等条約の締結はポルセンナのローマ征服・アリギアの戦い(前504年)と密接に係わったという新しい知見を得た. さらにいくつかの個別問題を論考し, 以下の如く新しい知見を得, また従来の知見を確認した. 1.アリキアの戦いは新しい時代への転機となった. 2.Elogia Tarquiniensiaにより前6世紀前半におけるタルクイニーのコルシカ・シリチアへの進出が明らかになった. 3.ピルジの碑文中のカエルの僣主はカルダコに政治的・軍事的に依拠した. 4.ローマはエトルスキ都市としてカルタゴとの間に前509/8年に条約を結んだ. 5.サトリクムの碑文中のPoplios VorlesiosはPublius Valerius Poplicolaと同定され, サトリクムに亡命・客死したと思われる. 6.セルウィウス・トゥリウスはエトルスキ征服王としてではなく, ローマ王として統治した. 2年間では他の諸関係に関する研究をもとりまとめ, 前7-5世紀の諸関係を総合的に把握するまでには至らなかったけれども, 以上の研究により, 前6世紀後半から5世紀初頭の時期はイタリア諸民族が政治的・軍事的・経済的に複雑にからみ合った動乱の時期であったこと, 前500年を境にしてマグナ・グラエキアと沿岸エトルスキ諸都市が主導した時代からイタリア内外の諸勢力が結抗した時代に移行したことが判明した. 今後はこの移行の原因, またかかる諸勢力結抗の中からローマが興隆した原因等が中心的課題となるであろう.
|