研究課題/領域番号 |
61510193
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研究種目 |
一般研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
研究分野 |
西洋史
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研究機関 | 立正大学 |
研究代表者 |
木崎 良平 立正大, 文学部, 教授 (30041742)
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研究期間 (年度) |
1986
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研究課題ステータス |
完了 (1986年度)
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配分額 *注記 |
1,000千円 (直接経費: 1,000千円)
1986年度: 1,000千円 (直接経費: 1,000千円)
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キーワード | リューリク王朝系図 / キエフ-ロシアとポロヴェツ人 / リューリク王族と外国王族 / キエフ-ロシアの分裂 |
研究概要 |
中世ロシア、それはキエフ-ロシア時代と蒙古支配時代とに大別される。その場合、一般にキエフ-ロシア時代がヨーロッパ的であったとすれば,蒙古支配時代は非ヨーロッパ的であり、アジア的であったとされる。たしかにキエフ-ロシアがギリシア文明の影響下にヨーロッパ的文化の華を開かせ、西ヨーロッパ世界とも深く関係したことは事実である。しかし、蒙古支配時代のロシアは、こうしたヨーロッパ的キエフ-ロシアの破壊の上に展開したのであるか、キエフ-ロシア時代と蒙古支配時代との関係は、ヨーロッパ対アジアという風に把握され得るのか。これが、本研究の出発点である。すなわち、本研究はヨーロッパ的といわれるキエフ-ロシア時代において、ロシアが東方アジア的遊牧世界とどのような関係をもっていたかという点について明らかにしようとしたものである。 その場合、(1)まずは、ロシアの支配王朝たるリューリク王族と東方諸民族ポロヴェツ人らとの通婚状況を見るため、リューリク王朝の系図を調査した。(2)ついで、リューリク王族が何時ごろからそれら東方諸民族ポロヴェツ人らと結婚関係をとり結び、かれらとの同盟関係がリューリク王族の支系間のロシアににおける覇権争いに、どのように関係していたのかという点について明らかにすることにつとめた。 そして、(1)の点については、リューリク王朝の各支系(各分領公国)毎に精細な系図を作成し、またリューリク王族と外国王族との結婚関係を明らかにした。(2)の点については、11世紀後半、すなわちポロヴェツ人が南ロシアに姿を現わした頃から、リューリク王族とかれらの結婚関係は始まり、かれらとの同盟関係が、ロシア地方におけるリューリク王族各支系間のロシアにおける覇権争いに、深く関連していたことを明らかにした。
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