研究概要 |
漁撈活動の始源に関する論議は、1)先土器時代まで溯りうるかどうか,2)従来どおり縄文起源説を採るとすれば、その実態はどうかという2点が直接的な検討課題となる。さらに先土器時代の漁撈を認める立場では、内水面漁撈から沿岸漁撈への発展という図式を用意している。これが妥当であるかどうかもあわせて検討する必要がある。 先土器時代に関しては、直接的証拠を欠くので、立地等を検討材料とし、縄文時代の初源期については、その実態を調査し、漁撈の実体とその技術段階を検討した。先土器時代遺跡の立地は海岸から遠く離れているので、沿岸漁撈はまず成立しえない。ありうるとすれば内水面漁撈である。先土器時代遺跡の分布域の中心が、内陸平野部と高原の二つに集中している点からは、先土器時代の漁撈活動の可能性は否定しきれない。この点に関しては、一度初期縄文時代の漁撈活動の実態を先に見ておくのがよい。 初期縄文時代の漁撈は一言で言って、技術的にも量的にも初歩的段階にある。貝塚を形成するほど多量の貝類を採らず、釣針,銛等の漁具の証拠もない。少量の淡水産貝類の採捕の域を出ない。1例だけサケ,マス属の顎骨を多量に出土した遺跡があり、この評価次第では、問題は大きな展開を見せうる。ところで縄文時代初源期の淡水産貝類を出土する例では、海産貝類も出土する例がいくつかある。その貝類の出土状況は、それが装飾品としてもたらされた可能性を示唆している。したがって、漁撈の発生は、内水面からとは簡単に言えず、むしろ沿岸漁撈に端を発する可能性も大いにあり、それが食料としてではなく装飾品として採集された可能性も大きい。先土器時代の集落は、縄文時代に較べて安定性を欠いている。漁撈活動を先土器時代にまで溯らせて評価するとすれば、その社会的背景に大きな疑問も生ずることになりかねない。
|