研究概要 |
1) 『失楽園』における悪魔の運命…十七世紀になると地獄の永続性を否定する思想が有力になってくる. 神の義よりも神の愛を強調し, かつ, 最後の審判の後, 浄められた新天新地の出現する一方で, 地獄が永続し, 永遠の刑罰が続行されることの矛盾を衝く考え方である. これはオリゲネスの万人救済説に由来する. ミルトンは, 『教義論』では正統説を唱えるが, 『失楽園』では地獄と悪魔の消滅をとく異端説を採る. 罪人の首であるアダムが救われないはずはないからである. 2) ミルトンと霊魂死滅論…人間は霊と魂と体から成る. 霊魂不滅とは, この魂の不滅をとくものであるが, それはギリシア思想であって, 聖書の考え方ではない. ミルトンの霊魂死滅論は, 聖書に基く思想であり, 現代の聖書学者クルマンの説くところとも一致する. 3) 最初の背きと最後の赦し-『失楽園』の主題と構造-…『失楽園』は, 「人間の最初の背き」という言葉で始まり, 「幸多き終わり」を約束されたアダムとイーヴが楽園を去る場面で終る. が, 冒頭の一巻から四巻まで, 全体の三分の一に近い行数が悪魔の, ついで神の, つまり超自然的な存在の描写についやされる. 人間界の枠組のなかに超自然界の消息が畳みこまれている. これをほぐすと, 逆に, 時間的にも空間的にも人間界の出来事が超自然界の枠組のなかに包みこまれてしまう. こういう巧みな構造によって, 人間の自由, とりわけ神に背く人間の自由が描かれる. 背きは人間の自由の, 赦しは神の愛の表現である. 4) カテキズムについて…中世カトリック教会のカテキズムと近代プロテスタンティズムのそれを比較することによって, 中世の主知主義と近代の主意主義が最も簡潔明晰に表現されていることを指摘した.
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