研究概要 |
機振法が第二次大戦後のわが国自動車部品工業に及ぼした影響についてとりまとめた. この作業を通じて, なお一層追究さるべき作業仮説として確立したのは以下の3点である. (1)機振法に盛られた産業政策の思想の渕源は, 遅くとも商工省による産業合理化運動(昭和4年)にまで溯る. それ以前にも, 例えば規格化は大正10年の工業品規格統一調査会(JIS)に始まっていた. 個別産業振興のため特別法を策定したのは昭和10年代の業種法に始まる. 第2次大戦後には, 工業標準化法(昭和26年), 企業合理化促進法(同27年)等に盛られた産業合理化の思想と政策とが機振法の下地となった. (ただし, 独禁法が存在する点で戦前と質的に異なる面もある. )なお, 機振法が法律中に基本計画と実施計画とを盛りこんだ機動的形態を具えているのは, 石炭合理化法のスタイルを踏襲したものといえよう. (2)機振法は, 企業群一般(例えばいわゆる「中小企業」)一般を対象とせず, 自発的に申請した企業の中から一定の資格要件を満たしたものだけを選択的に支援した点で, 通常の産業法スタイル(例えば, 中小企業近代化促進法)とは大いに異なる. (3)機振法制定・運営の評価にあたっては, 通産省特有の組織と意思形成メカニズムとを注目せねばならない. 産業を律するタテ糸と機能目的を律するヨコ糸とが組み合わされた通産省の「マトリックス的構造」が, 機振法のような総合的性格を持つ法律を効果的に策定・運営し得た根本的理由の一つだったと思われる. さらに, このマトリックス構造と機動的に連携して情報収拾と政策執行のための有効なテコの役割を果たしたのが, 業界団体であった. あえて言えば, 業界団体が弱体の場合には産業政策は有効に機能し得なかったとすら判断される.
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