研究概要 |
1.歴史津波史料の収集 近世以後、宝永4年(1707),安政元年(1854),昭和19年(1944,東南海地震),及び同21年(1946,南海地震)の4度の津波を経験した紀伊半島の、尾鷲,新宮,紀伊田辺,及び和歌山市で古文書調査を行い、写真枚数にして合計1,900枚余りの史料を収集した。主なものは、(1)尾鷲大庄屋文書,(2)紀州藩士・三浦家文書,(3)紀伊田辺藩士・安藤家文書,および(4)熊野地方の各市町村誌所載の史料,である。(1)には、宝永・安政の両度の津波による浸水田の記録,個々の被災者の名簿,復旧覚え書きなど多種にわたり、記載は熊野地方全般に及ぶ。(2)は和歌山大学所蔵で、江戸時代前半の日記史料を多く含み、津波被害記録とともに200件ほどの有感地震記録を得た。(3)は安政津波の直後に記された記録を多く含んでいる。ごく最近発堀された史料である。 2.現地照合、及び津波浸水高さ測量 尾鷲周辺で、既知史料に出現する地名照合と津波浸水高の測量を行った。本研究の1.で新たに見つかった文件に対する照合、測量は今後の課題である。 3.津波遡上の数値計算 熊野灘沿岸のリアス式湾のうち、特に湾形が複雑に入り組んでいる五ケ所湾(南勢町)の津波の浸水高の分布を計算し、歴史史料の語る事実と対比し、よく事実と相応した結果を得た。
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