研究課題/領域番号 |
62041083
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研究種目 |
海外学術研究
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 学術調査 |
研究機関 | 国立歴史民俗博物館 |
研究代表者 |
福田 アジオ (1988) 国立歴史民俗博物館, 民俗研究部, 教授 (60120862)
坪井 洋文 (1987) 国立歴史民俗博物館, 民俗研究部・教授・民俗研究部長 (00052085)
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研究分担者 |
曽 士才 法政大学, 教養部, 専任講師 (10196991)
矢放 昭文 京都産業大学, 外国語学部, 助教授 (20140973)
佐野 賢治 筑波大学, 歴史人類系, 助教授 (90131127)
篠原 徹 国立歴史民俗博物館, 民俗研究部, 助教授 (80068915)
上野 和男 国立歴史民俗博物館, 民俗研究部, 助教授 (80062008)
小島 美子 国立歴史民俗博物館, 教授 (20183337)
佐々木 高明 国立民族学博物館, 教授 (10031692)
福田 アジオ 国立歴史民俗博物館, 民俗研究部, 教授 (60120862)
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研究期間 (年度) |
1987 – 1988
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研究課題ステータス |
完了 (1988年度)
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配分額 *注記 |
9,500千円 (直接経費: 9,500千円)
1987年度: 9,500千円 (直接経費: 9,500千円)
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キーワード | 貴州省黒今東南自治区苗族 / 農耕文化 / 父子連名制 / 社会構造 / モノグラフ |
研究概要 |
昭和62年度・63年度の2年間にわたり中華人民共和国貴州省黒今東南苗族・〓族自治区において二つの村落を選定しインテンシブな民俗学的調査を行なってきた。選定した二つの村落は苗族の村で台江県梅影村と雷山県虎羊村であり、両者とも規模としては100戸前後の村であり集落形態としても塊状になっており少数の者が調査するには適していた。ここを選定した理由は周辺の漢族との関係から、梅影村は漢文化に強く影響を受けた平地の村であり、虎羊村は本来苗族の居住する山地の中にあり、比較的周囲から隔絶した漢文化の影響の少ないところだからである。この貴州省内の苗族の農耕文化の多様性のなかでの各文化要素の複合のありかたが日本の農耕文化の初期的な様相を解明するこに資することができると予想した。結果的には必ずしもこの目的を十分に果たせる調査地であったとは言えないが、それは中国内での様々な制約のなかでの調査という側面もあった。国立歴史民俗博物館と協力関係にあった貴州民族学院・貴州省民族研究所・民間文芸協会の多大な援助がなければ調査は不可能であったが宿泊・交通事情の制約は避けることができなかった。 しかし2班の別れて異なる条件をもつ村の調査を62年度・63年度と行なうことができ、それぞれ研究分担者が個々のテーマを持ちつつ社会構造・生産技術・信仰を分担した。従って二つの苗族の村落の民俗学的なモノグラフを作成することができることになった。それは日本と西南中国の少数民族の農耕文化の比較だけでなく、将来における漢民族の農耕文化との比較への基礎ともなると思われる一次資料によるモノグラフとなるはずである。 個々の研究者のテーマに関する調査においても従来の報告にない様々な民俗学的問題を発見することができた。当該社会の緊張を緩和すると思われる慣習法の実体、またシャーマンの機能などは今後苗族を考察する上で重要であろう。祖名継承法においても父子連名制が基本であり、漢族のそれとは異なることを見出した。また物質文化においては穂摘み具であるとか鵜飼の技術の存在など興味ある民俗を苗族は保持しているじことが分かった。いずれにせよこの一次資料に基ずくモノグラフの作成は、既に出版した国立歴史民俗博物館の報告書『華南畑作村落の社会と文化』の延長・発展したものになると思われ、今後漢族の民俗学的調査の基礎となると考えられる。 さらに今回の2年にわたる調査を通じて中国側の苗族研究者と国立歴史民俗博物館及び貴州民族学研究所においてシンポジュウムを開催できたことは意義あるものであった。日中の研究者の相互交流により苗族に関する民俗・民族学的課題に対する両者のスタンスのとりかたが分かり、相互に大きな刺激となった。そして今後作成するモノグラフのなかに中国側の研究者の論文を掲載できることになり、より充実したものになるであろう。
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