研究概要 |
メキシコ中南米ではカトリシズムが文化の中核を構成し, その文化の支配の度合いは強く, カトリック文化の理解なくして中南米の理解はありえない. 従来, 南部メキシコ村落の時間構造, 空間構造及び社会構造の分析を行なってきたが, 本研究ではその宗教と法慣習及び現実の諸禁忌の姿の分析を行なおうとする. メキシコ村落における法諸規定はローマ法的スペイン法の諸規定を含み, 更に中世以来のカトリック教会法の中に強く存している. 革命以後のインディオイズムに基づく反カトリック的諸規定もあり, また, これとは別の伝統的なインディオの慣習法やタブーの流れも種々の形でなしている. これらの法複合の中で村落の人々は行動への動機を導かれてもいる. 更に, このような法複合のシンボル体系とは別に, これらと異なった方向へかれらの現実の行動を動かしている歴史的諸因子も存在する. われわれは従来研究を続けてきた同じ地域で, これらの法複合及び慣習法, タブーの分析を行ない, その時間構造, 空間構造, 社会構造とともに, これらを考え合わせることを通して中南米の文化を更に深く理解して行こうとする. 本研究は南部メキシコ村落における宗教と法と現実という題目のもとに研究を進めている. 従来, 各分担者が細かな研究を進めてきた諸地域について宗教と法と現実の姿を取り出していってみようとする. 野村はトラホムルコにおいて, 宗教に関してはハヤカーテとコンパドラスゴを中心に研究を進め, 法に関してはエヒード耕作農地に関する研究を進めた. このような研究を通して, 法は宗教から分離していったものであるが, その性格が非常に異なったものになっていることが明らかになった. 宗教は人間を心の中からつき動かすものであり, 法はここまで出てはいけないとぎりぎりのところで規制し, それを越えたものを罰しようとするものである. 心から動くものとは全く異なる. 宗教の場合, 人々は死をかけてもその行動をしている. 事実, トラホムルコでもカトリックに命をかけての戦いがなされ, 残酷な戦いでトラホムルコが血の海となってもいる. しかし, 毎日のミサや月の一日のミサのために人々は行動する. これに対してエヒードは親族から親族へ譲られ, 各地域エヒードの総会の51%が全てを決定する. このような形でテヘダ家は母50ヘクタール,長男30,次男20,長女20,次女20の全家族がエヒードの権利保持者であり, 140ヘクタールの耕地を持ち, 数多くのトラクター,トラックを所有している. RIVASも同様である. サンタクルスのゴンサーレスも4人の兄弟がエヒードの権利を持っている. これらはエヒード決定の国家的精神とは全く異なっているが, 総会の51%で合法化されている. 彼等の下に1ヘクタールを耕している多くの百姓が発生している. エヒードの土地は働かされねばならない. 従って病気になった者は働ける者に譲らねばならない. 承認された原則としては未亡人と子供が耕作の権利を貸すことができる. ここでは無数の違法が行なわれているのが現実である. その姿は法の精神とは正反対である. これが現実である. これがトラホムルコでの野村の研究の一つである. 安元はウィチョル族の文化について結婚の問題を取りあつかっている. 伝統的形式, 一般的形式, 自由結婚などについてである. 第一のものは両親間の談合を必要とし, マラカメによる宗教儀式によって成立する. 第二の一般的形式は父親によって求婚が行なわれ, 親族や部族共同体の役職者が参加する. 第三の形は, 男女だけの合意による自由結婚である. ウィチョル族の家族の構成はこのような結婚を通してそれぞれ出発している. 中別府は儀礼的親族関係コンパドラスゴの問題をメリダ州マニにおいて研究分析を行なってきた. ここでは, コンパードレは親族対非親族71対29,60対40のごとき形でコンパドラスゴは親族関係を更に高めてゆく形をとっている. 更に, コンパードレの多くは父方の者のようである. 父方対母方 66対34,80対20のごとく, 父系親族のより強い姿がとらえられている. トラホムルコでの母方が父方より多い姿とは逆である. 猪又はラカンハの空間構造の分析を行ない, 母方居住の問題やジャングルの中での行動場面で夫婦が夫も妻も一定の道筋を行動する姿なども取り出されている. 水波は憲法学の側面からエヒードの分析を行なっており, 山崎もエヒード研究を行なっている. 清水はチアパス高地でのインディオの労働力の問題と祭のサイクルの関係の問題を取りあつかっている.
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