研究分担者 |
姜 義華 復旦大学, 歴史系, 副教授
湯 綱 復旦大学, 歴史系, 副教授
呉 傑 復旦大学, 歴史系, 教授
孫 志民 茨城大学, 教養部, 講師
松永 昌三 茨城大学, 教養部, 教授
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研究概要 |
朱舜水(1600ー1682)は, 江戸期の日本に亡命した中国明代の需者である. 彼の学問は実学を重視して祭祀・農業・医学・蚕桑,製糸等の知識を水戸藩に伝えたので, 当時の水戸の学問・文化に与えた影響は計り知れない. 今回の学術調査は, こうした水戸と朱舜水との深い結びつきを学術上から追究してきた茨城大学の研究者が, 中国の復旦大学を訪問し, 朱舜水研究の相互の研究成果を交換し, 検討会を行うことに第一の目的がある. 併せて復旦大学に所蔵されている関係資料を収集し, 両大学が共同して朱舜水の生地(浙江省余姚県)及び寄留地(上海松江県)の関係遺蹟を調査するのが第二の目的である. 本調査の成果の第一は, 茨城大学と復旦大学の共同研究者が浙江省余姚市の地方史研究者(市郷賢研究会と文化局)と舜水研究についてお互いに情報交換し, 今後の共同研究の態勢作りを果たしたことにある. 余姚県出身の四人の賢人(後漢の厳子陵, 明の王陽明, 明未清初の黄宗羲と朱舜水)にたいする現地では関心が深い. しかし王陽明, 黄宗義に比べると朱舜水の研究は一歩立ち遅れている. その理由は中国側に残る関係資料は舜水の15詩だけで他のものはすべて日本に残されており, しかもこれまで日中間に舜水研究の学術交流が全く進められてこなかったことにある. 王陽明と黄宗羲同様に, 朱舜水についても今回の調査を契機に国際的学術共同研究を展開していくことが上記の三者間で確認された. 成果の第二は, 現地余姚市での調査によって朱舜水関係の新たな資料を発掘できたことである. すなわち民国20年(1931)編纂の『民国余姚朱氏譜』20巻を実見し, 舜水の9, 10代目の子孫(朱元〓, 朱〓祥)から朱氏一族の系譜や祖祭祀について聞き取り調査を行い, さらに龍泉山の舜水故居遺跡・舜水亭を訪ね, また郊外の姚江(舜水)に沿って河姆渡村(新石器時代の重要な遺跡がある)まで走り舜水の実学を生み出した風土を観察した. 家譜によれば, 従来『朱舜水先生文集』や『朱舜水全集』で不明であった朱舜水の家系が南宋時代までさかのぼって明かになった. つまり朱正泰の次男端二が余姚県城内の龍泉山の南に住み一本堂朱代と呼ばれ, さらに6代孫の朱仲文以降が老三房朱印と呼ばれ, その子孫が舜水である. また常陸大田市瑞龍山の水戸徳川藩と舜水の墓地と余姚近切の墓地の形式の類似, 江戸水戸藩邸内の後楽園に舜水が設計した石橋と余姚県内の通濟橋の類似, 日本に伝援した水田農耕の余姚での実見など実学研究の材料を得た.
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