研究概要 |
この研究は, 昭和61年度科学研究費補助金による海外学術調査「中央アンデス南部における環境適応と資源利用の民族学的研究」(課題番号61041016)の調査総括である. 調査の目的は, ペルー南部からチリ北・中・南部にわたる海岸低地およびアンデス高地における環境適応と資源利用の実態を明らかにすることであったが, その際, 昭和54年から昭和60年まで, 主としてペルーにおいておこなった垂直統御の研究, すなわち高度差によって生ずる生態学的環境の多様性を利用した生産統御の体系の研究を参照とした. ペルーにおいては, アンデス高地における盆地や高原に独自の文化伝統があり, 高地文化と海岸文化のインターアクションが, 文明の発達をうながした. このパターンは, チリの最北部まで機能していたと見てよいが, チリの北・中・南部においては, ペルーにおけるような高地文化発達の条件が乏しいので, 環境と資源の利用のありかたも当然違うことが期待された. 調査の重点としては1)ペルー南部カマナ川流域等における川エビCryphiops caementariusの採取の現状とその歴史的展望. 2)ペルー南部におけるアヒ(トウガラシCapsicum annum)の交易, 3)アルゼンティンのプナ(フフイ州)における資料利用およびチリ北部との交易, 4)チリ中・南部における貝類, 海藻等の採集と交易, 5)チリ海岸における小規模漁業等におき, いわゆるrenovableな自然資源が先史時代から現代までいかに利用されてきたかにつき, 民族誌的資料をできるだけたくさん蓄積することを目標とした. 調査はだいたいにおいて企画通りに実行され以下のように総括された. 1.カマナの川エビ採取は古い時代からおこなわれ, 植民地時代にはカシケ(首長)が採取括動を組織した. 高地の住民が海岸に降りて採取をおこなうようになったのはいつごろか分らないが, 今世紀はじめまでは, 海岸に農業労働者としておりてきた高地人が, とった川エビを乾かし, 高地に持って帰った. 現在, 川エビは大都会の市場のために採取されており, 仲買人や商人がその流通をコントロールしている. 3.アルゼンティンのプナでは, ラクダ科の動物が減少して, 山羊や羊の牧畜が主体となっており, それにジャガイモ・キヌアをはじめとする伝統的な栽培植物が加わって, 住民の主な食糧源となっている. ただしあまり大規模な換金作物の生産はおこなわれず, したがって, ペルーにおけるような海岸低地との交易や交流が顕著に見られない. とはいうものの, チリ北部海岸での情報によれば, 今世紀はじめごろまではチリ海岸でとられる魚や貝類が, 干して高地に交易のためはこばれたという. あるいは, ペルーと同じような交易のパターンが存在したのかもしれない. 4.チリの全海岸においては海藻の採取がきわめてさかんであり, 現在でもDurvillea antartica, Porphyra colombinaが, 大量に採取されて市場に送られ, 食用に供せられる. ペルーの場合, Porphyraはもっぱら高地住民によって採取されているが, チリでは海岸住民が採取に従事する. とくに興味深いのはテムコ地方に住むマプチェ族がDurvillea antarticaを大量に採取し, 牛車で高地まで交易する事実である. これは歴史時代から有名であったが現在でもおこなわれている. 5.チリは現在漁業国として近代的漁業が発展し, 日本をはじめとする漁法による小規模漁業も依然として残存しており, 地域内需要にこたえている. 今回の調査においては, この種の漁撈に従事する漁民からも多くの口述資料が得られた. 以上のように, いくつかの代表的な自然資源が現在でも利用され, 自然環境に対する適応も, むかしからの型に基づいておこなわれている. アンデス地域においては, 自然の変革よりも, 自然に適応した資源の開発と利用が依然としてさかんである, と言える.
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