研究概要 |
1.研究の経過 本研究は前2回の調査を継続したものである. 昭和58年度に予備調査を行い, 翌59年度からガンダーラ平原の東北を限る山塊の尾根上のラニガト遺跡の発掘調査を始めた. この遺跡はなだらかな尾根上に遺構群が分布している. この年度は, 南端の台地に位置し, 広大な寺院址の中心的性格をもつとかんがえられる塔院の調査を行った. その結果, 遺跡の構成が概ねあきらかになった. 主塔を中心に多数の奉献小塔が巡り, 背後には祠堂列がならんでいた. 塔院の遺構は2時期に大別された. また主塔院西側に設けた西トレンチで, 塔院建設に先行する遺構が見つかった. 61年度は, 主塔まわり, 主塔院の南西約80mにある塔(西南塔)まわり, その南にある僧房群とおもわれる地区(南地区)の3ヶ所を中心に調査した. 本年度はその総括的研究をおこなった. 2, 遺構 主塔まわりでは, 前回の発掘区を広げ, 塔院の全体構成を明らかにした. また主塔の盗掘坑を手がかりに, その東北部分4分の1の込め石を取り除くと, 基壇・胴部・伏鉢をそのままにのこす基核の小塔があらわれた. 周辺の奉献小塔との関係もわかり, 仏塔増広の過程を明らかにすることができた. また塔院から台地の北端まで, 長さ約60mの南トレンチを設けたところ, ー7mのところに下層石積みに対応する石組があらわれた. 西南塔ではストゥコ塑像に飾られた四重の基壇があられた. 基台のせり出しアーチ型の通路の構成を明らかにした. また通路の調査から, 尾根に石積みの壁を設けて台地を築き, 伽藍が拡大された過程を知ることができた. 南地区では, 東西にはしる中央の道をはさんで両側に多数の小室からなる僧房と考えられる遺構が見つかった. 3, 彫塑 石彫894点, ストゥコ230点, テラコッタ11点の総計1090点が出土した. 石彫の材料は, すべて緑泥片岩で, 一般のガンダーラ石彫の素材ととくにかわりない. 石彫は丸彫風の独立像(仏, 菩薩, 神像, 供養者, 動物など)と浮彫とに分かれる. また浮彫は仏教説話を連続してえがく画像帯(仏伝図, 本生話), 文様帯, 建築意匠(肘木, 軒蛇腹, 欄盾, 壁柱など)に分類できる. ストゥコには, 壁面から剥離したとおもえる小像が多く, 仏, 供養者, 魔衆などの頭部, 供養者の胸部, ヴァジュラパーニの胸部が目をひいた. 4, 貨幣 32枚の銅貨が出土し, 28枚を同定できた. 広義のクシャン王朝(A.D.50ー450ころ)貨幣である. 基核小塔から出土したものは, 盛期クシャンのヴィマ・カドフィセス王の銅貨で, 遺構に年代観をあたえている. 5, カロシュティ刻文 17点出土. うち燈明皿の刻文は「髪塔」と読め, ラニガト遺跡における仏塔の性格を考察する重要な手がかりをえた. なお「髪塔」の出土ははじめてのことである. 6, 土器 南地区の地業用の埋土から多数出土し, 前回の様式編年作業 を補強するデータをえた. なお実年代はBC.1〜AD.8世紀とした. 7, ラニガト遺跡の変遷 遺構と遺物の層位的関係を考察した結果, ラニガト遺跡は次のように時代区分される. ラニガト1期は下層石積みの築造が関連する時期である. ラニガト2期は基核小塔の建立を中心に, 主塔院が整備された時期である. 寺院確立期にあたる. クシャーン朝ヴィマ・カドフィセス王朝に属する. 塔院の基本的な形がつくられる. ラニガト3期は回廊の石敷施工の時期で, 主塔を中心に南地区を含めた全域が整備される時期である. 寺院盛期前半にあたる. クシャン朝ヴァースデーヴァ王期に属する. ラニガト4期は増広された主塔を中心に主塔院が再編成された時期である. 寺院盛期の後半にあたる. ラニガト5期は西南塔とその北側の祠堂が建立された時期である. 主塔院のたつ台地に石垣が巡る. 南地区と主塔院を結ぶ道が西南塔の下のトンネルに限られることになる. 寺院終末期である. 7, 今後の調査予定 昭和65年度に予定している第3次発掘調査では, 主塔や西南塔まわりの精査のほか, 多数の小塔がたつ台地西縁の小丘にも調査範囲を広げたい.
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